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シュレディンガーはたぶん猫。[第4話]

第4話


「ちなみに、この口も目も、互いに連動してる……。お前にもそれは分かっているはずだ。そうだろ?」

 確認の問いを口にしながらも、やっばり視界のブレはつらかった。気持ち悪い。今は驚きのあまりに片山が「そっちの目元」に手を当てたまま固まってくれているのが、視界に振り回されないで済むから、心底ありがたい。が。

「ってことは、やっぱりお前の犯行じゃねぇか……!!」

 再度、怒りを取り戻した片山は俺の首元を掴んで揺さぶってきたので、俺はますます吐き気をもよおしてくる。この状態で揺らされるとマジでヤバい。

「ち、ちがう、うぷ、だからそれは、誤解、で、」
『――おや。おやおやおや。これは見事に混じったものだな』

 耐えつつも言い募ろうとした俺だったが、突然、辺りに赤の他人の声が響いて黙った。それは今まで全く聞いたことがない響きの声だった。振動がピリピリと肌の表面に響くような感触だった。

 いや、でも、そもそも声とは振動のはずだ。人間は声帯を震わせる、その振動で声を出すのだと、昔どこかで聞いたことがある。しかし、声帯を使っているにしては、何だか少し響きが違う気がした。異様だった。確かに意味がある人の声に聞こえるのに、全く違うものにも思える。

 声の方向を見る。その俺の視界に従うように、片山も目線を動かした。

 そこに、ぞわぞわと蠢く、黒いものがあった。それは真っ黒い、細か過ぎる大きさの粒子のようで、宙に漂う様子はまるで霧のようにも見える。霧の向こう、地面が透けていた。

『ほう。ほう。虫を追ってきたら、ちょうどいいところに』

 声はやはり、その漆黒の霧状のものから聞こえている、はずだ。声帯らしきものは全く見えないが。ゾワゾワと蠢くそれは、何かの形になっていく。俺も片山も、黙ってそれを見ているしかない。

 やがて影は、小さな猫の形になった。子猫ほどの大きさだろうか。それには見覚えがあった。

「あっ、お前、あの時の、」
「コンビニ前にいた、」

 俺の台詞に片山の台詞が被る。俺もだが、片山にも覚えがある猫?らしかった。

「「透けた黒猫……!!」」

 俺たちは同時に声を上げる。俺は昨日の放課後、通学路のまさに片山が言うコンビニの近くで、コイツに遭遇していたはずだ。見た途端にはあれだけ「うわっ、何だあれ」と思ったはずが、不思議と、今の今まで忘れ去っていたが。そしてそれは片山も同様らしい。俺と全く同じ驚き顔をしている。

 肯定、という様子で猫はそのひげと尻尾を上げて得意げにちょこんと座った。

『いかにも。また会ったな、人間たち。いかにも。吾輩は透けている。おそらく、黒くて猫のようだというのも正しいだろう。この星の基準に合わせるなら、だがな』

 どこか得意げな態度で言うが、奴に顔とか表情のようなものはない。ただ黒いものが蠢いているだけだ。幽霊のように。

『……ふむ。翻訳は正常のようだが、コミュニケートには少々難有り。調整がいる、か。それにこの場のしきたり通りに物質的に存在するというのも、意外と面倒なものだ』

 朗々と語る声色は、男なのか女なのか、子供なのか老人なのか、判別がつかない。

「物質的に存在していない、のか?」

 思わず訊いてしまい、俺はアッと口を押さえる。もし悪霊の類だとしたら、どう考えてもこちらから話しかけない方がいい、はずだ。オカルトには詳しくないが、怪異と話すと連れていかれる、みたいな話はたまに聞く。

『それはもうとっくの昔に先祖が脱したことだな。あれは何百光年昔の話だったか……確か……』

 やっぱり、会話なんてものは試みない方が良かったのかもしれない。顔がない相手なのに、何でか「幾らか遠い目になっているふう」とか「話しかけられて嬉しそう」なんて気配が分かることこそ、オカルトそのものじゃないかよ。

「長そうだから、やっぱいいや、それは。で、お前、何なの?そんで、俺らの周囲が変なことになってるの、関係ある?」

 しかし、俺は端的に訊いた。知りたかったからだ。知りたいと思ったことは知らないと気が済まないからだ。

『あるかないかで訊かれると、あると応えるしかないな』

 うんうん、と「猫?」は頷いて見せた。

『今から、ふむ、十六時間前?か。吾輩はその、こんびに?が存在する付近でお前たちを通り過ぎた。それでお前たちの中身の素粒子構成が混ざった。あれは完全に不注意だ。詫びよう。次に、吾輩はとある虫を追ってきたのだが、その虫はあらゆる物質を素粒子に分解して食うという虫だ。それで』

 そこで「猫」は一度会話を切る。そして人間が認識できない動きであっという間に片山の背後に移動して、ヌルリと降り立った。普通の猫のように「スタリと降り立った」んじゃない。ヌルリと、だ。スピードがあったと感じたにも関わらず。速度の感覚がおかしくないか?俺の左目がおかしいからか?いや、違うはずだ。人の感覚とは違うのだ、おそらく。

『虫というのが、これだな。お前の背中についていたぞ。わりと珍しい虫なんだ、まさかこんな辺境の星にいるとは。宇宙空間にたまに漂っていてな、悪食で物質を素粒子まで分解するのが得意なんだが、お前のことは分解できなかったようだ。通り抜けた時に吾輩の一部も混ざったせいだろう』

 ギチギチと、実体がない「猫」の口元で、これまで見たことがない虫が蠢いている。この虫もまた、異様な透け感があって、地球のものとはコンセプトが全く違うデザインだった。

「……申し訳ないんだけどさ、ちょっとわけがわからない」

 大きく息を吐いて、俺は頭を抱える。また地面に突っ伏して脱力したい気分だ。

 視界が二つ分あるせいか、信じられないものを見たり聞いたりしているせいか、物理的に衝撃を食らったせいか。ひどく頭がクラクラする。

「う、まじ、吐きそう……」

 よろめいていると、何だか完全に毒気を抜かれたらしい片山が、支える形で俺の腕を掴んできた。もう俺への敵意は引っ込んでくれたようで、ようやく対話の準備が整ったようだ。

「片山、気が済んだんだったら、話しようぜ。猫、お前も来い、情報共有しねぇと訳が分からん。まずはトイレ……その後は保健室。先に隠すもん隠さねぇと。眼鏡は……っと」
「歩けるのか、お前。思ったより頑丈かよ」

 ちょうど二メートルほど行った先、俺の眼鏡が転がっている。先ほど片山に引き倒された時、勢い余って飛んで行ったやつだ。そちらに向かって何とか重い足を出して拾い上げていると、片山は驚いたふうに訊いてきた。

 急に好意的にも思える対応をされてびびる。喜んでいるふうにも見えた。仲間喪失後のあえての空元気なのかもしれないが。

 特に言葉では応えず、眼鏡を顔に戻す。

 腹にでかいのを二発、頭を地面に頭突きさせられること数回、と散々やられたことを思うと文句のひとつも言いたくなるが、俺も一発、思いっきり殴り返している。

 片山の左頬は今や完全に腫れ上がっていたが、本人は難なく平然と、スタスタ歩いている。さすが肉体派ヤンキー、乱闘し慣れているようだ。

 思ったより頑丈、か……。

 俺も片山に対してそう感じていた。全力で一発、それでも、全く壊れない。身近にそんな奴がいるなんて、全く想像していなかった。

 弱い奴は、大事に。じゃあ、弱くない奴なら……。

 色々想像しそうになって、やめた。そうして横を歩いている――果たしてコイツは「歩いて」いるのか?ただ人間に合わせて移動はしている――「猫」の口元を見る。捕らえられたその虫の見た目は蝉とは全く似てなくて、でもウゾウゾと透けた脚が動くさまを見ていると、何となくあの蝉の死を思ってしまう。今朝の夢だけでなく、ついさっき人がひとりこの世から消えた事実を知らされたのも相まって。

 ひときわ大きなため息が口から出た。

 その後、先程の宣言通りにトイレに行き、俺は口をすすいで土で薄汚れた包帯を巻きなおして片山の口を隠して、片山の方は首を痛めたふうに振る舞いその手で俺の目を隠しながら、保健室に向かった。まだ二限は終わっていないので、静かにコソコソと行動する。

 保健の先生に例の口や目を見られたらヤバいな、と心配していたのだが、片山の顔を見た瞬間に青ざめて逃げ去ってしまった。まぁ、元々怖いで評判のヤンキーの上に、今はどう見ても喧嘩直後。加えて俺のせいで顔も腫れ上がってるもんな。触らぬ神に祟りなし、逃げるが勝ち、だ。部外者を難なく排除できて、結果オーライである。

 体の土は全て払って洗って血もすすいで、タオルで水滴を拭って体中の切り傷擦り傷に消毒もしまくって、包帯も新しいものに。そうやって、ようやく場が整った。

「――とにかく、関係がある、って認めるんだな?三沢の失踪と、お前と、このクソ虫は」

 例の虫は、現在「猫」が作った「虫かご的な謎の黒い立方体」の中に閉じ込められている。その立方体にちらりと視線を流して、片山はイラつきを隠さないまま訊いた。お互いの治療中はずっと黙っていた片山だったが、今は凄味が効いた声で「猫」ににじり寄っている。相手が人なら怯えたのかもしれない。が、人ならぬ存在はただ飄々と応えるのみだ。

『そうだな。おそらくこの虫がそのミサワ?を食って、お前も食おうとして失敗したまま、ステルス擬態して今の今までお前にくっついていた、ってところか』
「食った、って……。じゃあまさか、食われて消えたってのかよ。三沢は。拉致じゃなくて」
『まだ信じられんか。ならば、見ていろ』

 声と同時に、漆黒の虫かごが瞬時に透けていく。当の虫は薄グレーのガラスケースのようになった立方体の底に、微動だにせずじっとしていた。すると、たまたま土まみれになったため捨てる予定で置いていた俺の使い古した包帯が、急にシュルシュルとテーブルを滑っていく。それは蛇の動きに似ていて、あたかも生きているかのようだった。

 これらはどちらも「猫」がやっていることらしい。まるで手品か、念動力か、それともポルターガイストか、などと俺は考えてしまう。先ほど体育館裏で「物質的に存在していない」などと言うのを聞いたし、実際にその動きを見て「怪異みたいだ」とも感じていたわけだが、もはやこの「猫」がやることなすこと全てが完全なオカルトに見えてくる……。

 包帯蛇は立方体の上面までたどり着くと、天井をすり抜けて中に落ちた。

 ザアッ。

 天井からすり抜けて落下した包帯は、本来なら箱の底に向かって重力の法則に従い、パサリと落ちたはずだ。しかしこの両目が捉えた現実はというと、全く違った。

 俺たちの目の前、小汚い布の塊は瞬時にその形を失う。まるで固体が液体になり、更に気体になって蒸発していくみたいに表面が泡立って。ものの二秒程度だった。そしてその「元は包帯だったものが落ちた辺り」にゆるく溜まっていた光の集まりは、導かれたふうに一筋書きのらせん状の軌跡を作ると、すうっと例の虫の口元へと吸い込まれていく。

『こんな感じで、コイツは基本、素粒子まで分解できるものなら何でも吸収する。この星の言い方で表すと、食い殺した』

 どんなに「ものを素粒子に分解して食う虫とか、あり得ないだろうが」と否定しようにも、実際におかしな現象を目の当たりにしてしまうと、もはや何の文句も言えなかった。

 確かに、そのようにして、昨晩ひとりのヤンキーがこの世から消えたのだと、俺も信じるしかなかった。



[つづく]

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