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プロトタイピングは終わらない。家具を通じて、家族コミュニケーションに変化をもたらす岩沢兄弟の場づくり

こんにちは、岩沢兄弟の兄嫁・えりです。

以前、私がnoteに書いた記事「岩沢兄弟が取りくんできた、家族の距離と行動をちょっとずつ変えていく、「家族空間」のプロトタイピングをご紹介」の続きを少しだけ書こうと思います。

実は、この記事にも登場していた岩沢兄弟の祖母が、今年8月末に亡くなりました。98才でした。

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↑今年6月、思い切って家族みんなでディズニーランドへ

人は死ぬときこんなにあっという間なのをすっかり忘れていました。昨日まで家族の中心だった人が、突然いなくなるということが一体どういうことなのかわからないまま、慌ただしく家での葬儀が終わり、祖母のいない日常がはじまりました。

あたらしい日常をどう咀嚼したものかと思っていましたが、葬儀から2週間くらい経ったある夜のこと。ちょうど食卓に私と母と2人きりのタイミングがありました。母は、祖母が無くなる直前まで、ずっと祖母の介護を中心とした生活を何年も送ってきました。それが突然いなくなったのだから、さぞかしこれから「祖母ロス」でくるしくなるのではと心配していました。

でも、ふと母が、岩沢兄弟の取り付けたスライドショーモニターを見て言うんです。「これみると、ほんとおばあちゃんは幸せだったんだなって。ここ数年の写真、どの写真をみてもほんと楽しそうで。よかったんだなと思うのよね」。

そうなんです。本当に、祖母が楽しそうな写真がたくさん出てくるんです。スライドショーモニターに。

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あとから聞くと、これまで祖母が生きているときは、おもに私と兄・ひとしの息子や、弟・たかしくんの娘の写真が中心だったのだけど、祖母がなくなってから、たかしくんがGoogle photoで祖母の顔認証を設定して、自動的に祖母がスライドショーに登場する頻度を上げたんだそうです。(手が込んでいる)

もちろん、その思い出を積み重ねてきた4年間は、間違いなく私たちが一緒に築き上げてきたものです。でも、それを気づかせること。それは確かにあったのだ。楽しかったのだ。ということを思い出すことってこんなに大事なことだったんだとあらためて思いました。

実際、母は私の想像していたよりもずっと落ち込むことなく、スライドショーを見てはやわらかい表情をみせます。アルバムをみるというほど、自分で思い出を掘り下げに行くわけでもなく、一定の間隔で、どんどん移り変わっていくくらいのライトさがまたいいです。

ちなみに振り返ると、自宅葬ができたというのも、この祖母の家をリフォームしていたからでもありました。リビングの脇に置いていた祖母の介護ベッドがあった位置に祭壇を置き、祖母の棺が手前に置かれました。これまでの部屋だったら、そもそも祭壇をおく広さを確保できていなかったでしょう。

介護用に扉が外されていたトイレは、再び扉が設置されました。

家にいるひとは、ずっと同じではない。いつか誰か出ていったり、あるいは増えたりする。歳を重ねれば、できることと、できないことがそれぞれに増えたり減ったりする。先の見えない時間軸をもった空間は、つねにプロトタイピングし続けられる、空間のありようをどんどこ更新できる柔軟なかたちであることで、私たちは過去に縛られずに、いまを生き続けられるのかなぁなんて思いました。

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岩沢兄弟がこれからもいろんな空間をつくっていく中でも、こういう時間軸に寄り添うことは大切にできたらいいなぁと勝手ながら思っています。


岩沢兄弟 https://battanation.com/

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