社会はどうすれば変えられるか

今コロナが猖獗を極める中五輪を強行しようとする政府や、LGBTは道徳的に問題があると言ってのける自民党に対し、「世の中を変えたい」と考える人が増えていると思います。住む家も無く、路上に寝泊まりし、一日一回の炊き出しに並ぶ人がどんどん増える一方、東京では億ションがバンバン売れているとか。こんな社会変えたい、そう思う人が増えるのは当然です。

しかしその人達がやっているのは、署名とか、Twitterデモ。こんなもので世の中が変わると思うのは、頭がお花畑なんです。Twitterにハッシュタグがいくつ並ぼうが、署名が何十万筆集まろうが、そんなものは権力からしたら屁です。署名なんて警備員が受け取って玄関脇のゴミ箱に捨てるだけです。Twitterなんかそもそもリアルワールドじゃ無いんですから、権力は全く困りません。

では実際、世の中はどの様に変わってきたのでしょうか。最も大きく世の中が変わるのは、革命です。そこで実際に革命が起きたとき、世の中を変えようとした人々は何をどうしたのでしょう。

20世紀初頭、ロシアの民衆は困窮に喘いでいました。と言っても産業が停滞していたわけではありません。工場はうなりを上げていましたが、そこで作られていたのは人々のための生活必需品では無く、第一次世界大戦でドイツと戦うための兵器だったのです。兵器は食べられませんし、民衆は次々前線に徴兵されていきました。そこで、最初民衆は僧侶ガポンに率いられ、請願書をもって皇帝のいる冬宮に行進しました。皇帝に請願すれば、皇帝が民衆の苦しみを聞き届けてくれると思ったのです。丁度署名を集めて自民党本部に持っていったようなものです。しかし彼らを待っていたのは、軍隊の一斉射撃でした。1905年「血の日曜日」です。請願や署名というのは、権力からこういう仕打ちを受けるのです。これは後に「ロシア第一革命」と呼ばれることになります。

この事件以来、ロシアの情勢は一変しました。民衆は平和的な方法では圧制を止めさせることは出来ないと、犠牲を払って学んだのです。本格的な革命の始まりです。


民衆は皇帝政府に対して組織的な抵抗を開始します。多数の犠牲は出ましたが、次第に軍隊の中からも民衆の側に付く部隊が現れ、結局皇帝政府は倒れます。


ところが、皇帝が退いて行われた民主的な選挙で勝ったのは、CP(ロシア語でエスエルと読みます)でした。レーニン達のボリシェビキ(ロシア語で多数派の意味)は実際は少数派でした。しかし選挙で多数派になったCPはロシア帝国がやっていたドイツとの戦争を続けようとしたのです。ロシアは荒廃し、民衆は徴兵されて疲弊し、とても戦争どころでは無かったのに、です。イギリス、アメリカなどからの資金提供が目当てでした。まるで今コロナの中で五輪を強行しようとする日本政府にそっくりです。

第一次世界大戦ってのは、要するに列強の利権争いで、前線のロシア軍兵士もドイツ軍兵士も別に双方が殺し合わなきゃならない理由はなんにも無かったのです。ただドイツ軍が思ったより強かったので、イギリス、フランスや裏で金をつぎ込んでいたアメリカは、東からロシアにドイツの足を引っ張らせたかったわけです。しかしそんなこと民衆とは関係がありません。せっかく皇帝追い出して選挙やって民主的な政権が出来たと思ったら、その与党にも英米から金が流れ込んでいるからって、なんで縁も恨みも無いドイツ兵と殺し合いしなくちゃならないんだって話です。民衆、特に前線兵士の不満と怒りは高まる一方でした。そこでボリシェビキは前線で厭戦気分が高まった軍隊を組織化し、その武力で政権奪取に成功したのです。

次に中国で清朝が倒された辛亥革命を考えてみましょう。辛亥革命の時も、孫文らは少数派で、最初郷党と言う密輸などに係わっていた裏組織と結託しようとしましたが、彼らは意識が低くどうにもならなかった。ならず者は所詮ならず者で、意識改革も組織化も出来ませんでした。

そこで孫文らは他ならぬ敵の清朝が作った各地の新軍、つまり従来の槍と刀の軍隊では無く、銃や大砲や軍艦などの新装備を持つ軍隊に密かに賛同者を増やし、彼らを核にして革命に成功したのです。新軍は新式兵器の扱いと共に一定の教育を受けていましたから、もう清朝ではどうにもならないことが理解出来たのです。

その後中国では国民党が一応対外的には中国を代表する政権として認知されていましたが、実際には各地に軍閥が林立し、国民党の統治が及んでいたのは一部だけでした。しかも当時日中戦争が勃発し、日本が中国をどんどん侵略していたのに、国民党の蒋介石総統は共産党との内戦に没頭し、日本と戦おうとしません。これも、米英などの後押しが原因でした。当時すでにスターリン率いるコミンテルンと、米英を中心とした帝国主義列強の世界的勢力争いが始まっており、中国内の共産党対国民党の戦いはコミンテルン対帝国主義列強の代理戦争になっていたのです。ですから蒋介石は、日本軍が中国深く攻め入っても、都市を空爆しても、日本では無く共産党と戦い続けました。勿論、帝国主義列強から豊富な金が渡っていたのです。またもや金です。今の五輪と同じです。

そんな国民党政権に、当然民衆の不満が高まりました。今の中国共産党は強権の権化みたいな物ですが、当時は中国共産党が国民を弾圧していたわけでは無く、日本軍が侵略して空爆していたのに、蒋介石の国民党政府はそれと戦おうとしないのですから。民衆の怒りは高まっていきました。また軍閥の中にも、「あの蒋介石政権ではダメだ」と考えるグループが生まれたのです。中国共産党は米英が後押しする国民党政府に財力、兵力では負けていましたが、そう言う軍閥の一人張学良がついに共産党と手を結び、張学良が蒋介石をおびき出して拉致し、脅迫して共産党掃討を止めさせ、形だけでも国共合作して日本軍と戦うことになったのです。当然列強から散々干渉を受けましたが、結局は蒋介石を抑えることが出来たわけです。他の軍閥も次々と共産党、張学良の側になびきました。

軍閥と手を握って総統を拉致し、脅迫して合作させたのですから、これは勿論テロです。しかし賢明なテロでした。組織化されていない自爆テロは失敗しますが、こうしてきっちりと作戦を練って武力を備えたテロは成功するのです。

以上三つの革命に共通するのは実力部隊の組織化です。まず民衆、当事者が覚醒し、団結して組織化し、組織化された実力部隊を味方に引き入れること。これこそが社会を変える必須条件なのです。Twitterや署名ではないのです。皇帝に請願して一斉射撃を浴びた人々を忘れないようにしましょう。

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