アヒンサの物語

アングリマーラという人が大昔インドにいた。元の名前はアヒンサと言った。彼はバラモンの家に生まれてあるバラモンの元で修行していたが、たまたまその師が外出しているときに、師の妻から言い寄られた。アヒンサがこれを拒んだら、妻は逆にアヒンサが無理矢理自分を犯そうとしたと帰宅したバラモンに訴えた。バラモンは激怒し、アヒンサに「おまえの修行は100人の指を切り落とせば完成する」と告げた。それでアヒンサは99人を殺しその指を切り落としたが、その時ブッダがそれを聞き、100人目はアヒンサ自身の母親だと気がついた。そこでブッダはアヒンサの所に行き、どうやったか知らないが説得して改心させた。

改心したからって人々がアヒンサを許すわけじゃ無い。アヒンサは托鉢に出る度に人々から殴る蹴るの暴行を受けた。しかしアヒンサはそれに耐え続け、ついに悟りを得た。

ある日悟りを得たアヒンサが托鉢に出ると、難産で苦しんでいる産婦がいた。アヒンサはどうしてよいか分からず、ブッダにどうしたらよいか尋ねた。そうしたらブッダは彼に、その妊婦のところに行って「私は生涯で一度も人を殺したことが無い。だからその功徳によって貴方はきっと無事に出産出来るだろう」と告げよと言った。アヒンサは散々人殺しをしていたので、それは事実では無いからそういうことは起きないだろうと思ったが、ブッダがそうしろというのでともかくその通りにしてみた。そうしたらその妊婦は無事に出産出来たそうだ。

さて、この話でブッダは何故自分で妊婦のところへ行かず,アヒンサに嘘をつかせたのだろう?

仏典には以上のことしか書いてない。だから正解はない。以下は私の考えである。

悟りを開いたかのようなアヒンサでも、それだけに一層、嘘をつくのは辛かっただろう。それも散々人を殺しておいて、「私は一度も人を殺したことは無い」と言わせた。

アヒンサは殴られ蹴られ、それに耐えることで一定の悟りは得た。しかしまだ自分自身に対峙したことが無かった。自分の過去を隠し、「私は生涯に1度も人をあやめたことは無い」と嘘をついて人を救えというのは、目を背けて覧ないようにしている己に向き合えという事だ。

ブッダ以前の修行者というのは、水に漬かったり、食を断ったりしてそれを修行と考えた。しかしブッダは「己に向かい合うことが修行だ」と見抜いたのだ。だからアヒンサに強いて自分に向かい合わせたわけだ。克服したと思っていた自分の過去の悪行に、己が目を背けていただけだと気がつかせた。これはメスのように厳しい修行だ。これを全ての悩む人にやらせるわけには行かない。心的外傷が再発してPTSDになってしまう恐れもある。ブッダはアヒンサはそれがやれるだろうと思ったからやらせたのだ。

それにしてもブッダって、結構怖い師匠だよねえ。


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