文明とは何か

文明とは、電灯のつくことでもない。飛行機のあることでもない。原子爆弾を製造することでもない。文明とは、人を殺さぬことであり、物を壊さぬことであり、戦争をしないことであり、相互に敬うことである。



藤井日達という坊さんの言葉だそうです。真にもっともですねえ・・・一見。



ところがですね、歴史学や考古学で「この文化は文明になった」と看做す根拠は、階層分化が明確になったことを持ってそう言います。支配者と被支配者が明確に分化し、双方に固定的な差が生じ、支配者は豪華な宮殿に住み被支配者を戦場に駆り出し、豪華な副葬品とともに立派な墓に祀られる。被支配者は支配者を一方的に敬うことを強制され、戦争にかり出され、雑な共同墓地に放り込まれていると言ったようなことが発掘上明らかになると、「文明化した」と言います。昔は文字があるとかどうとか言いましたが、文字がない文明はいくらでもあることが明らかになったので、今の考古学上の「文明」の定義はそうなっています。



例えば三内丸山は文化か文明か。意見は分かれています。あれだけ高い文化を持ち、豊かな生活をし、栽培も行われ、海を越えた貿易もした文化が千年以上にわたって存続していた。ほとんど文明と言ってよいように思われます。



しかし三内丸山では、戦争に関する遺物がほとんど発掘されていません。あの高い物見櫓は、敵を見張っていたかも知れません。しかし千年も続いたのですから、しばしば戦争をしたなら、もっと大規模な環濠などが見つかって良さそうですが、見つかりません。夥しい武器が発掘されたという事もないです。どうも三内丸山では、少なくとも大規模な戦争は無かったようです。



巨大な建造物も見つかっていますが、もしあれが王の宮殿であったとすれば、そこからなんらかの当時なりの宝物がたくさん出てきてしかるべきです。しかしあの建物跡からは、それらしいものは出てきません。結局あれは一種の集会場であったのだろうと考えられています。つまり支配階級と被支配階級をはっきり分けるものが発掘されません。



墓地もそうです。確かに一定の貧富の差はありますが、夥しい宝物を埋葬した巨大墳墓というのは見つかっていません。



こうしたことからすると、三内丸山は文化だったのか文明だったのかあやふやになります。だから考古学者は慎重に「三内丸山文化」と言います。



そんな馬鹿なと思うかも知れませんが、まあどこかの密林に住む少数部族を考えてください。ボルネオ辺りで良いです。彼らは彼らなりの宗教を持ち、それなりの生活様式を持っているので、彼らにも彼らの文化はあります。でもそういう人たちを「文明人」って言わないじゃ無いですか。



じゃあ文明人ってどういう人かって言うと、飛行機に乗り、ネットをやり、資本家と労働者の階級分化は明らかで、富める者はますます富み、貧しいものはどんどん収奪される。そして戦争をやる。そういう人々、国々が「文明人、文明国」でしょ?日本はこれまで戦後戦争をしてきませんでしたから、文明国の条件が1つ欠けています。でも岸田総理は大規模な軍拡に乗り出し、そのために庶民から税金を収奪するそうですから、日本が本格的な文明国入りするのも目前です。どこかに一発ミサイルを撃ち込めばいいんです。いよいよ日本も「本物の文明国」入りが叶うのです。なんて素晴らしいんでしょう・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?