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リーマンショックの不景気を乗り越えた時のベンチャー経営をふりかえる

どうも、ピンチはチャンスが合言葉のIwaoです。

最近のコロ●ショックの株安で世界的な不景気の足音を感じます。それがなかったとしても2020年の後半には景気が悪くなるとちらほら噂になっていましたよね。昨今の不自然なVC投資を見ていると痛感します。

記憶に新しい不景気と言えばリーマンショックです。その2008年に何してたんだろうって考えたら、起業して間もない時期でした。

リーマン・ショックとは、2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ通称である。

当時はまだ会社経営者としてペーペーだったので、周りからの圧力でヒステリックになりそうではありましたが、自分としては最も成長した時期でした。その2008年から2009年にかけて事実ベースでどう乗り切ったか振り返ってみようと思います!

受託案件が大幅に減った

当時の会社は15人くらいの規模で受託案件を回しながら、自社プロダクトを開発していました。しかしリーマンショックあたりから案件のペンディングが出はじめました。次第に受託案件は大幅に減っていきます。

肌感では大きな会社ほど投資に弱気になる傾向は強く、特に広告系の案件は顕著になっていきます。不景気には広告費を削ってその次にIT費を削っていくということを学びました。

受託案件ベースの会社だったので資金繰りは厳しくなり、従業員の給料を払えない状態まで陥りました。僕ともう一人の代表が犠牲になり、3ヶ月くらいポケットマネーで従業員の給料を払う事態になったのです。

結局、大きな案件で価値を見出すセールスマンとプランナーは会社を辞めて、ローリスク・ローリターンだった一つの事業を譲渡することにしました。社員は5人になり、株主には謝罪をして上場するという目標を諦める決断をしたのです。上場や利益追及は事業の目的にしてはいけないということを学びました。投資家には株式を売却していったので、借金地獄という構図でした。しにたくなりますね!

トレンドのスキルはニーズがある

大型の案件は減っていって、常駐案件はやらないという確固たるビジョンを揺るがすようなSES市場に参入する誘惑にもかられましたが、ここで踏みとどまって正解でした。ピンチの時こそ準備していたビジョンは絶対です

弊社は大きな受託会社に比べると単価は安くて柔軟に対応できるし、ガラケーアプリ開発という専門スキルが要求される領域に強みがあったので、その仕事は安定して取れるようになりました。

ガラケー市場は当時まだまだ伸び盛りであり、成長しているマーケットに刺さるスキルは社会的にもニーズがあったのです。備えあれば憂いなし、次に来そうな技術を先読みして学ぶことは重要ですね。

不景気によって各企業は希望退職で人件費を削っていく一方で、低予算でも新しい価値を生み出すことを求めています。リストラはしても新しいチャレンジを実現していった会社の守備力は強く、資本主義社会では攻撃は最大の防御である経営哲学を学ぶこともできました。

採用は中止してフリーランスと仲良くする

人件費を削減したことにはもう一つの新しい価値がありました。それは人が減ったことによる安心感かなと思ったんですが違いました。実際に資金繰りがしやすくなり、株主総会で受ける圧力から解放されましたがw

結果的に必要最低限の人材で組織を構成することに成功したのです。給料が安い高いではなく、優秀かポンコツかでもなく、会社を長く存続するための自立した人の集合体になりました。

具体的に言うと、全員が営業をして提案をして開発をしてデザインして、できないところは発注してマネジメントをします。たしか僕以外全員がフリーランスを経験してたかな?とにかくコミュニケーション制約のないフットワークの軽い組織になりました。その結果、リモートワーク制度や年俸自己申告制度など当時はユニークな会社制度が出来上がり、働き方改革になっていきました。

それに伴って求人サイトによる採用はストップしました。その代わりに即戦力として協業してくれるフリーランスやオフショアなどの開拓を進め、案件の規模によって対応できる協業体制になっていきました。

また、それまで案件を受託するために権力にごますりしていた洗脳から目を覚ますことができて、縦のつながりではなく横のつながりが不景気には強いことを学んだのです。

あきらめたらそこで試合終了

不景気によって結果的にダメージは受けましたが、無駄な接待は減って、物価は下がり、時間的な余裕が生まれました。そのアドバンテージを活用して、新しい技術や横のつながりを積み上げていった結果、景気が回復するにつれて報酬は大幅にアップしていきました。

具体的には不景気の時期に新規プロダクトを開発していました。景気回復したら伸びそうなマーケットを予測して、景気回復する頃までに完成させて売り出していきます。新規事業の教科書の最初のページに書かれているような当たり前の戦略ですが、その戦略がハマりました。

たとえばGREEやDeNAなど下落した広告費を活用してグロースに成功させたみたいに、ニーズを捉えている会社はデフレを有効活用します。まずはしっかり地盤を固めることに専念するのも重要ですが、創造性とかチャレンジマインドを押さえつけることは試合終了を意味すると思っています。

まとめ

10年以上前のことなのでどこまで参考になるかはわかりませんが、こんな感じで不景気を乗り越えました。不景気の原因だけを見ても仕方なくて2次災害や3次災害に対するリスクに備えなくてはいけないなと思っています。

僕個人としては、現在、正社員とフリーランスの二足のワラジですが、今回の不景気が訪れたケースを想定して準備はしています。置かれている立場は違えど、本質的には勇気を持って不景気に向き合うことは必要と思います。

不景気は成長するチャンスと捉えていますので、その辺はこのnoteに書いていきます。興味がある方はフォローをお願いします!ではではー

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