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このカラダひとつで生きること(後篇) 開いた人生相談会と、交差点の話|上田假奈代

「ほんとうに肝心なことはことばにならない。
現場は、流れていく川のようだ。
さっき見ていた水は、いま見ている水ではない。」
          (「このカラダひとつで生きること(前篇)」より)
大阪・釜ヶ崎で、「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」を営んでいる上田假奈代さんの寄稿、後編です。

素人のプロの扉は開いている

雨のあと、にわかに暑くなった松山市内。
松山城の脇の商店街をゆっくりと歩き、なだらかな坂道から幹線道路に曲がり、しばらく行くと、谷間のように木造二階建ての古民家がある。
この日、2階に「平和通りアートセンター」がオープンした「古民家カフェかまど猫」だ。
オープニングの展覧会「題名のいっぱいある展覧会」に立ち合い、ワークショップをすることになっていた。いつも行なっている詩のワークショップではなく、いきなり「人生相談会」だ。

わたしは役立たずの詩人で、50年ちかく詩と人生がどんな関わりを持つのかを実践研究している。ふだんは大阪市西成区通称釜ヶ崎で、喫茶店のふりをしたアートNPOココルームを運営している。もうすぐ20年ほどになる。そこではゲストハウスや「釜ヶ崎芸術大学」など、「であいと表現の場」を開き地域に根差した活動をしている。
毎日カフェを開いていると、困りごとを聞く機会が多い。こちらに専門性がないからほぼ全方位の内容になり、仕事、生活、家、病院、介護のこと、家出人や弁護士を探したり、お金がないことや依存症の相談、刑務所にいる人からの相談など、多岐にわたる。突然見知らぬ人から「わたしはどうしたらいいんでしょう」と尋ねられることもある。

釜ヶ崎は、日雇い労働者の「寄せ場(寄り場)」であったことから、社会との関わりがうまくない人や困窮したり、行き場を失った人もよくやってくることから、さまざまなサポート・社会資源がある。持ち込まれた内容によって、専門家や支援者につなぐことが多い。
わたしは支援者ではない。通りすがりの人にちかい。
支援につながった後、喫茶店に顔を見せてくれて、元気にしているよ、とか、連休などで行くあてのない時にやってくるなどして、つきあいが長くなる人もいる。

すれちがいざまに足をとめて、扉を開けて話を聞いてしまうのは、「社会的弱者」と呼ばれるような人の持つ孤独のちからや、回復のさなかにみせる勇気のかけらに魅せられているからだ。

彼らを弱者のままにさせたくない。
弱者を弱者のままの立場に固定化することに、社会の側の暴力性や思考停止を感じてしまう。

魂の持つ、かすかな振動。
ひとりで生きていくしかない一回切りの人生。
この社会が定めた立場に縛られるなんて、まっぴらごめん。

人生相談会のながれ

どんな人たちが集まってくれるのだろう。
松山の人たちはゆったりとしている印象だ。木造の「古民家カフェかまど猫」の中庭には紫陽花が咲き、やわらかい陽射しがさしこんでいる。
初日は「名づけのワークショップ」を行い、展覧会で展示している2つの作品に名前をつけた。二日目が「人生相談会」。
初日に来た人が、明日も来ます、と来てくれた。
主催者である、松山市文化・ことば課の職員さんの姿もある。

今日は、人生相談会ですが、わたしが相談にのるわけではありません。みなさんの人生相談をみなさんで聞き、話し合います。話してもいい話をしてくださいね。否定するような答え方はしないでください。念のため、ここで話されたことはここだけのことにしてください。

(それなのに、わたしはこの日のことを書こうとしていて、矛盾している。
この日の不確実な瞬間を刻んだ流れを記したいのであって、個別の案件を書きたいわけではないので、ぎりぎりまで書いてみたい。)

ひとりづつ順番に、今日呼ばれたい名前を名乗り、それをみんなで呼ぶ。
そして、まず5分の時間をとって、相談したいことを紙に記す。
順番に本人がそれを読みあげ、書記係になってくれた人がすこし大きめのダンボールに、内容を短くまとめて書いてゆく。

全員の相談が記されると、順番に内容に踏み込んでゆく。
ちょっとコミカルな相談もある。
そういうこと、あるよね、というような相談もある。
ほぼ会ったばかりの人たちが、古民家の6畳間で押したり引いたりするような問いかけをしながら、情報共有のようなことをしたり、そんな風に考えるあなたは素晴らしいですね、と褒めたりしている。

人生相談会は人生のよう

後半にさしかかったときに、ひとりの人が相談を語る。世間と自分の認識のズレが辛く「なんでわたしのことをわかってくれないのか」と言う。

わかってもらえないと思う自分もまた、他の人のことがわからない。
だから、わかりあうことはない。永遠に難しい。

明確な答えはでないまま、人生相談は進む。
電車が次の駅に向かうように。

いくつかの相談を経たとき、間合いのおもしろい人がふいに自分語りをはじめた。

語りは、自分の身に何が起こったかという簡潔なもので、短かった。
裏切りにあい、人生をかけて守りたい存在を失い、残された者として生きることを生きた人のことばだった。

それは、さきに話した人への応答であったのではないだろうか。
すぐに答えるのではなく、すこし間をおいて。
自分の傷口を空気に触れさせる仕方で、いまもなおその傷がどのくらい痛むのか、本人しかわからないものを。本人でさえ、よくわからないものを。

その人が語り終えたとき、6畳一間の空気は変わっていた。

道を歩いていて、
何気なく曲がった角の、そこにある石に人生を教わったような。

この会場に集まった方たちは、ほぼ初見である。
なかには知り合い同士もいたようだが、この人のこんな話を聞き、そんなことを知るなんて、想像もしていなかったようだ。

人生相談会が人生のように思えてきた。

終了の時間が来ましたから、終わります。

参加者のみなさんは、それぞれのタイミングで席を立ち、この場を離れる。

関係者は片付けをはじめ、振りかえりをして、それぞれの現場へ日常へ帰ってゆく。

大阪・新今宮駅前の交差点のできごと

久しぶりの晴れた朝だった。
大阪の街なか、南海電車の新今宮駅の前の交差点で信号待ちをしていた。

後ろには、3年前に閉まったあいりん労働福祉センター。
鳩が数羽歩き回り、シャッターの前にはゴミが山のように積み重なり、日雇い求人の車が数台停まっている。

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目の前は国道で、ひっきりなしに車が通り過ぎる。
わたしの目の前、斜め2メートルほどに男性が立っていた。
小柄で年齢は40歳代くらいだろうか。
すこしカラダが揺れている。
小さなリズムを刻んで揺れている。
右手を軽くあげる。かすかにうなづき、挨拶をするように。
トラックが行きすぎる。
また、右手をあげ、かすかにうなづく。
大型トラックが行きすぎる。
この人は、目の前を通りすぎるトラックに挨拶を送っているのだ。

釜ヶ崎と呼ばれるこの地域には、かつて土木建設の仕事に携わる人が多く、停車しようとする大型の車、商店街の行き止まりに突っ込んでしまった車に「オーライオーライ」と声をかけ、勝手に誘導する男性たちをよく見かける。

この男性も運送や運搬の仕事をしているのだろうか。

すると、彼は両腕を前に出し、軽くまげた。
まるでバイクのハンドルを握るようにして、そして、軽く握った両手をぶるんぶるんと回し、手首のスナップを効かせる。
バイクが通りすぎる。
トラックが通りすぎれば、右手をあげ目線を送り、バイクが通りすぎると、両手でぶるんぶるんと透明のハンドルをまわす。

ふいに、彼は後ろを振り向き、わたしをみつめた。

彼はなにやらぶつぶつ言うと、腰を軽くねじり、両足の膝を軽くくっつけて、両手でバットを握る形をつくると、素振りを始めた。

突然の展開にわたしは、つられていっしょに素振りの格好をする。
最初は軽く、近くの内野アンダー。
やがて素振りは大きくなる。

透明なバットを振る。
透明なボールは国道を通り越え、新今宮駅をまたぎ越え、どこか遠くの空へ飛んでゆく。

信号が変わり、ピロピロと音楽が鳴る。
わたしたちは姿勢を直す。
前を向き、何も話さず、2メートルほどの距離のまま、何事もなかったかのように、信号を渡った。

まさか。同じ方向の新今宮駅の階段をのぼる。

ふいに、彼は後ろを振り向き、わたしを見て
「着物、いいね」とはっきりと言った。

話せない人かと思っていた彼がいきなり、日本語を話したことに驚いてしまうが、ともかく応答しよう。
「ありがと、いい日を!」

二度と会うこともないだろう、無名のわたしたちの出来事。

これからも、何度となく交差点を渡るだろう。
透明のハンドルを握り、道中気をつけて!とドライバーに声をかける人を思い出すだろう。

そして、突然、透明のバットで透明のボールをかっ飛ばすことができる。
このカラダひとつのわたしたちの日常の劇場。

写真はすべて執筆者の撮影による。
見出し画像は、米カンパライブ2021。米は釜ヶ崎で配布される。シンゴ★西成が企画。会場は釜ヶ崎の三角公園。
本文中写真は、建て替えのため2019年に閉鎖した、あいりん労働福祉センター。2021年7月撮影。
上田 假奈代(うえだ かなよ)
詩人。1969年吉野生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。京都で短大生活をおくりながら京大西部講堂に出入りし、闘う詩人を名乗り「下心プロジェクト」をたちあげ、ワークショップなどの企画、場作りを手がける。「トイレ連れ込み朗読」、詩のボクシング大阪大会優勝などを経て、2001年「詩業家宣言」をして「ことばを人生の味方に」と活動する。この時から、毎日着物で暮らす。
2003年大阪・新世界で喫茶店のふりをした拠点アートNPOココルームをたちあげ、2008年西成・釜ヶ崎に移転。2012年、「釜ヶ崎芸術大学」開講、ヨコハマトリエンナーレ2014参加。2016年「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」開設。2020年「閉経サミット」を企画。
大阪市立大学都市研究プラザ研究員。2014年度 文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞。NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表理事、大手前大学国際看護学部非常勤講師、堺アーツカウンシルPD。


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