見出し画像

ようやっと自分の軸を見つけ始めた


ありがたいことに毎年毎年、あっという間に年末だと感じるぐらいに忙しい日々を過ごすことができているが、今年は特にあっという間に時間が過ぎていく。

古民家を購入し、住み始めて、地域側の役をもらい、限界までお金がなくなり、出稼ぎでどうにか耐え凌ぎ、自分のやりたいことの片鱗が見えてきたと思ったら、大学院生として何もできてないことに気づく。その間も地域×学生でふらふらとしていてバタバタ。今は慌ててやることを減らして大学院生に戻ってる途中。カナダにこの前調査に行ってきたけどまとめないと汗

こんな感じの生活だった。
そして今は、ようやっとひと段落して、自分の振り返りができる状態までやってこれた。

ふと自分を振り返ると、この1年間でかなりの変化があったと感じている

今現在、自分は、あえて「これから何をするのか?」を明確に答えていない。
逆に今までは、「将来自分が何をするのか?」「何に興味があって、どんな理由で今に至っているのか?」を聞かれたら相手を納得させられる程度にはしっかりしたことが言えていた(はず)。
「地域での経験をもとに官僚になりたい」
「関係人口を作り出すハブになりたい」
とか、その場で言えるありとあらゆる言葉で表現していたのだろう。

僕は、今年のある段階から、そういったとってつけた「想い」を言葉にすることをやめた。
とってつけたといっても、自分の本心ではある。でも、少し違う。
何がしたいのか?を聞かれても、なんとなく曖昧な返事や、「どうなるんでしょうね〜、僕もわからないっす」
みたいな感じでのらりくらりしている自分がいた。

ふと思った。なんで自分のやりたいことを言いたくないんだろう?
逆に「〜やってます!繋がりたいです!」みたいな人の一部とは喋る気持ちがなくなってしまったんだろう?


焦らない

この半年での大きな変化は「焦らない」を感じるようになったことだ。
自分自身も古民家を購入してmakers universityの尾野先生や同期と喋って、いろんな舞台でいろんな生き方をしている人たちを見ていて、自分が憧れている姿は、
20代で実業家になることや、Forbes under 30に載るような姿ではなくて、
40歳ぐらいの時に胸張って日々楽しいっす!って言えてる人なんだろうなと思いました。
だとしたら、今あるべき姿はそこに向かって焦らずでも着実に日々を生きるのみなんじゃないかなと思ったりして。

だから、どうなるかはわからないけどただ楽しく日々を過ごせるようにする。そこから始めたい。自分が幸せではじめて、人を幸せにできる。そんな気がする。それより先はあまり求めてもしょうがないんじゃないか?1年後、10年後のことはわからないから。

でも、軸は持とうと思った

ただ、楽しく日々を過ごそうと日々ふわふわするには僕はいろいろと持ちすぎている。大学院生、若くて無一文なのに移住。NPOの理事。

社会という大海原はすごいいろんな海流がある。最初はそれをいいところ取りしたいなーとか思ってたけど、そんなに都合よくはいかない。真逆の方向に行く波や、同じ方向でも大きさが違う波に飲み込まれそうになる。

人間1人が目指せる道なんて限りがある。わかっていたけど、こんなにも自分というのがちっぽけだったとは。

僕は何事にも興味があるタイプで、何かと話を聞くと面白そう!やってみたい!心躍ってしまいがちなのだが、それが尚更自分のちっぽけさを際立たせる。

いろんな波をモロにくらわずに、上手いこと生きていくには、「私はこういうことを生業にしていて、こんなことに興味を持っている」ということが相手に伝わるように自分がやっていることを整理しないとなぁ、と思いはじめた。

もちろん、人を一言で表現できるわけがない。だからこそ、軸を作る。いろいろやってるけど、岩永くんの軸はここにある。それを胸を張って言えるようになりたい。

社会の大海原の波に対して、自分の軸はいわば自分という船の「帆」を上げることかもしれない。

漂流してたおかげでたくさんの発見をすることができた。広い海のそれなりの地域を旅することができた。これからも旅はする。でも、そろそろ「帆」をあげても良さそうだ。

さあ、帆をあげよう、吹き飛ばされないようにちょっとづつ、でも胸を張って。

もし琴線に触れることがあれば。最低金額以上は入れないでください。多くの人に読んでもらえれば嬉しいです