こんばんはイワナギです。東京に帰り早一月が過ぎようとしています。オンライン授業には慣れてきたものの今度は、家に引きこもらざるおえない在宅通学のため、体が不調を訴えるようになりました。
和歌山から帰ってきて、なんとなく体が不調な状態が続きいています。家に引きこもるが故にスマホ依存症📱で眼精疲労を起こしていることもあるでしょう。止まない肩こりと腰痛に悩まされながらパソコンと向き合い続けています。
他方、和歌山から帰ってきて和歌山での思い出を思い出して、記録に残すようになりました。それと同時に、「和歌山にいた一月前と今では何が変わったんだろう」ということを考えるようになりました。和歌山の暮らしと全然違いそうで、慣れ親しんでいるからか基本的にはうまく適応できてるような気がする東京の暮らし。
そしてふと、
「このなんとなく感じる体のダルさは東京での生活で何かが不足してるからじゃないのか」
と考えるようになりました。
9月末までの和歌山滞在であって、東京にないもの、森?海?山?地元のおばちゃん?パソコンに向かわんでよかったから?
当然、東京の生活と和歌山で生活スタイルは違うし、学生に戻って毎日しなきゃいけないことの内容が様変わりしたし、就職活動を考えなきゃで憂鬱だし、家族がそばにいて、実家暮らしに懐かしさを覚えたり、変わったことはたくさんあります。
でも、
「自然がないから合わない」
って訳でもないし、
「人の少ない村で暮らしてたから東京の人混みに慣れない」
というのも、意外と全然平気だし
「東京のゴミゴミとした雰囲気が嫌なんじゃない?」
というのも、むしろ都会の喧騒はなんやかんやで好きだし
「ゲストハウスの生活にホームシックなんちゃう?」
というのも、ゲストハウスの居候の時にやりたかったこともやれてるし
という具合で、田舎から都会に戻ってきて、苦しみそうなところは意外と平気なのでした。
・・・
僕は実はインドアが好きで、予定がないときは中に篭ってしまいがちになるのですが、あんまりずっと自分の部屋から一歩も出ないのも体に悪いなと思って最近になって散歩を毎日するようになりました。
ある日、夕方にバッティングセンターまで行って少しだけ運動して、施設の外に出るともう外は暗くなり始めていました。冬に近づいているんだなと思いながら空を見上げると、
空が夕焼けでほんのりオレンジ色に染まっていました。
その時気づきました。
そういえば、夕日をしばらく見ていないな。
和歌山の三尾での生活では、何かにつけて夕日を見ることができました。漁港まで行って堤防の上から眺めたり、なんやかんやでいろんな作業していたら西の空が真っ赤に染まっていたり、晴れの日には綺麗な夕日を見ていました。
僕の東京の実家の家は、なぜか採光がめちゃくちゃで、朝日も差し込まないし、夕日が見えるはずの西側の窓は小さかったり曇りガラスだったりで夕日を見ることはできませんでした。
夕暮れ空を久々に東京で見た時、僕が東京で不足していたのは夕日だったんじゃないか、と思い、夕日があるであろう西の空を見ました。
西の空を見ようとしても、延々と所狭しと並んだ家々が続いていて夕日はとっくのとうにそれらに隠れてしまっていました。
・・・
家に帰って、自分のカメラフォルダを見返すと、無意識のうちに夕日の写真をめちゃくちゃ撮っていたことに気づきました。
夕日というのも不思議で、とる写真の全てに少しづつ違いがあるのです。
その日の季節
その日の雲の数
その日のもやのかかり具合
その日の撮った場所
その日撮った時に周りにいた人、思い出
そんな違いがありながら、夕日は1分1秒ごとにその姿を変えていきます。
そして気づいたら沈んでしまう。
夜の到来、1日の終わりを告げる夕日、それが僕の1日の区切りであり、明日への活力でもあったのだとふと思いました。
家々やビルが所狭しと並ぶ東京や大阪の都会。そこで見られなくなってしまった夕日は、大きなエネルギーを持っている。
カッコつけとか、感傷に浸ってとかではなく、真面目に、夕日を見ずに生きていくということは、ビタミン抜きの食事をするような不健康さがあるように思えました。
皆さんは夕日、見てますか?
もし琴線に触れることがあれば。最低金額以上は入れないでください。多くの人に読んでもらえれば嬉しいです