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映画と映画#0 「それでも映画を愛してる」

 遠野遥先生の「破局」を読み終えた時、私の中で「破局」という言葉のイメージは変わった、、というよりも、拡張されたように思います。それは小説の持つ「余白」という属性に由来するのではないかと想像しました。(めんどくさいので一旦決着)

遠野遥著「破局」


 いきなりなんだ?なんなんだ、映画の話をしろと自分でも思うわけですが、、ね、え
要は「破局」は、数多ある形式の中から著者が「小説」を選び、「小説」でなければならなかった。と受け手としても感じたということです。

※それが先天的か後天的かはさておきます    
 (よくわかんないから後で考えるぜ)

 つまりそのような着想、なぜのその形式を取ったのかというのがまず、映画という「形式」と向き合う上で大切なことに思えたわけでございます。

「映画」はどんなメッセージのためにあるのか、その本当の魅力はなんなのか、堅苦しいなぁ、、と思うけど一応そういったことを頭の隅におきながら、「映画」を見つめていきます。

 映画の歴史とか俳優・監督の名前なんて全く知らないけどもねぇ、(ティモシー・シャラメだけ覚えてる、理由:美味しそうだから)

「それでも映画を愛してる」

胸を張って言えるぜ、というタイプの人間に私はなりたい。


映画と映画#0




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