脳活性ツールとしてのピアノの3つの可能性 (中編)~ 脳を鍛えたい人が知っておくべき5つの概念~
脳を鍛えたい人が知っておくべき5つの概念
今回の3部作投稿 中編のスタートです。
中編は音楽色は殆どありませんが、脳科学に興味がある方ならば重要なエッセンスを5つのキーワードで掴める、タイムパフォーマンスが高い内容になると思います。私がこれまでに読んできた数十冊の脳科学や学習科学の本の中から厳選した、初学者が知っておくべきトピックを5つ紹介します。
①脳の可塑性
②BDNF(脳由来神経栄養因子)
③Use it or Lose it
④Neurons that fire together wire together
⑤認知的流動性
いきなり読みにくい漢字あるし、九文字熟語もあるし、なんで英語が出てくんねん!
となるかもしれませんが(^-^; 一つずつ順番に解説していきますのでご安心ください!
脳の可塑性(Brain Plasticity)について
脳の可塑性(かそせい)とは、「脳神経系が内在的または外界からの刺激に反応してその構造、機能または接続を再編成することにより、活動を変化させる能力」と定義されています。
わかりやすく言えば、脳には様々な刺激に応じて自分を変える力があるということです。(書籍「BRAIN PLASTICITY 自らを変える脳の力」より)
「可塑性」自体の意味は、「固体に力を加えて変形させ、力を取り去っても元に戻らない性質」の事で、英語で表せば" Plasticity" プラスティックと同じルーツを持つ言葉です。
代表的なプラスティックである熱可塑性樹脂は熱を加えることにより液状化もしくは軟化させ、冷却することによって固まって変形後の形状を保つ性質を持っています。
平たく言えば、変形しやすいので加工もしやすく、加工後の姿をしっかり保っていられる便利な性質(=可塑性)を持つのがプラスティックという事になります。
この可塑性を脳に置き換えた場合、そのポイントは「脳の変わりやすさ」という事になります。脳は必要に応じて自らの構造も機能も変えられるという素晴らしい性質があります。(専門的に言えば、構造的可塑性、機能的可塑性の2つを持つ、という事になりますが、ご興味があれば上の参考図書を
読んでみてください)
頭の良し悪しは幼少期に確定する、あるいは、生まれた時から決まっている。一定の年齢になったら脳細胞は増殖をやめ死滅を待つのみ。
これらの言説は今日では「神経神話」(neuromyths)と言われており、事実に基づかないエセ科学とされていますが、自分の脳に対してこんなネガティブイメージを持っている方は少なくないのではないかと。実にもったいない話です。
脳に対しては、ある種の遺伝的傾向が関与しているデータはあるにせよ、「脳の可塑性」は、これから自分の脳をもっともっと鍛えていきたいと思う全ての人にとって必ず知っておいて欲しい希望の概念です。
やり方次第で、脳はいくつになっても成長(≒環境適応変化)を続け、シナプス構造を強化する事が可能なのです。
BDNF(脳由来神経栄養因子)
Brain-Derived Neurotrophic Factor
脳の可塑性の概念は希望に満ち溢れていますが、このnoteの聡明な読者諸賢はこんな疑問もお持ちになった方も多いはず。
脳に可塑性があるのはわかったけど、可塑性自体を高める方法はないの?
答えはYES!
良質な脳を育てるのに欠かせない栄養素であるBDNF(Brain-Derived Neurotrophic Factor)と呼ばれる分泌たんぱく質があり、これを上手に増やしていく事がそのカギとなります。
『BDNF(Brain-Derived Neurotrophic Factor)とは、脳由来神経栄養因子で、神経細胞の発生や成長、維持、修復に働くほか、学習や記憶、情動、摂食、糖代謝などにおいて、重要な働きをする分泌たんぱく質です。』
BDNFの役割と、その増やし方について、とても上手くまとまっているスライドを見つけたのでシェアさせてください。(英語表記なので、それぞれの訳を簡単に併記します)
NEUROPLASTICITY (神経可塑性)
Why you should care about your BDNF ?
(なぜ自分のBDNFを気にかけるべきか ?)
BDNF helps your brain adapt & Learn
(BDNFは脳の適用と学習を助けます)
Improves all forms of plasticity
(可塑性を全般的に高めます)
You control your BDNF levels
(あなたは自身のBDNFレベルをコントロールできます)
そのコントロール手段がスライドの右側に示されている4項目です。
EXERCISE(運動)
Increase BDNF at any age
(BDNFはいくつになっても増やせます)
SLEEP (睡眠)
Missed Sleep = Less BDNF
(睡眠不足はBDNF不足のもと)
NUTRITION(栄養)
Fat + Sugar = Less BDNF
(肥満+糖質 = BDNF不足)
STRESS (ストレス)
Cortisol act against BDNF
(※コルチゾールがBDNF産生を妨げる)
※コルチゾール・・・副腎皮質から分泌されるホルモンの一種。人体に必要ではあるが、過剰分泌されると免疫系・中枢神経系・代謝系など、身体のさまざまな機能に影響を及ぼす。心身がストレスを受けると、急激に分泌が増えることから、「ストレスホルモン」とも呼ばれている。
BDNFを上手に増やすことは、健やかな脳生活を送るための必須要件!
そのために是非読んで欲しい本を紹介します。
まあまあのボリュームがありますが(本文で345ページ)、如何に運動がBDNF産生を促進し脳と身体にメリットをもたらすかを、手を変え品を変え延々と語り続けてくれるので、読み終わった頃には一種の洗脳がかかり、運動しなくてはいられないマインドに変わっているでしょう(笑)
運動には先述したコルチゾールの抑制効果もありますよ!
ここまで「脳を鍛えたい人が知っておくべき5つの概念」の内2つを紹介しました。
次に「神経科学の大原則」とも呼ばれる2つの言葉を紹介します。
Use it or Lose it
「使われれば結びつき、使われなければ失う」
「廃用性萎縮(はいようせいいしゅく)」という医学用語があります。
「寝たきりや行き過ぎた安静状態が長く続くことによって起こる筋肉や関節などが萎縮すること」と定義されていますが、この概念は脳神経にも当てはまります。
先ほどBDNFの箇所で説明したように、脳の順調な成長のためには栄養が必要です。しかし旧人類からの長い時間軸で考えれば、栄養が溢れた飽食の時代というのはごく最近の限られた期間の話で、栄養が稀少な資源であった時代には、限られた栄養資源をどうでも良い所に分配している余裕はありません。
生き残るか、死ぬか? 絶えず厳しい選択圧にさらされ続けた結果、人類は生存確率が上がる部分に対して栄養を投資し、そうでない部分には栄養を回さないというシビアな生存戦略を持つ種として進化しました。
現代の会社組織に例えるならば、脳の中に厳格な財務部長がいて、一切の無駄な経費は許さん!というスタンスを徹底している感じです。仕事をしていない人員は容赦なくクビを切り、部署単位でのリストラにも躊躇がないので、使われていないシナプスはどんどん刈り込まれていきます。
では、これを防ぐにはどうすれば良いのか?
能動的、積極的に頭を使い続けるしかありません!
同じ神経回路が利用されるたびにその接続が強化されて、通い慣れた舗装道路のように情報が走りやすくなる学習のメカニズムを是非有効利用したいものです。
逆に言えば、脳の老化の原因は特定の脳の領域を利用しなくなることです。
脳の領域の有効利用について、貴重なヒントを与えてくれるのが次の言葉です。
Neurons that fire together wire together
(「同時」発火された神経細胞は結びつく)
この言葉は、脳のシナプス可塑性の特徴をリズミカルな韻に乗せて表したフレーズで、神経心理学の開拓者であり、ニューラルネットワーク研究の先駆者でもあるドナルド・ヘッブ博士が提唱した「ヘッブの法則」の重要なエッセンスでもあります。
「ヘッブの法則」とは「シナプスは結合しているニューロン同士が同時に発火する度に情報伝達の効率が上がっていき、逆に長い間発火しなければ伝達効率が落ちる」という仮説に基づいた、学習や長期記憶についての基礎的な法則です。
「ヘッブの法則」が発表されたのは1949年で、当時はこの学説の根拠になる科学的データが乏しかったのですが、近年ではfMRI (functional magnetic resonance imaging 磁気共鳴機能画像法)などの技術が大きく発展したおかげで、多くの裏付けがこの学説の先進性を認める形になりました。
このような研究が進んだ結果、例えば「言語処理」の際には、下図に示された神経回路が活性化している事がわかってきています。
こちらに興味があり詳細を知りたい方は、東京大学の共同発表のリンクをご参照ください。
「言語処理」は脳の色々な領域が同時活性しやすい、いわゆる脳トレ効果の高い活動と言えると思います。特に「読書」は読み方次第で、具体的には「精読」を行うことで高い脳トレ効果を生み出すことがわかっています。
今回の冒頭で紹介した書籍『BRAIN PLASTICITY 自らを変える脳の力』のP.156~157にかけて、極めて興味深い記述があるので、ここで紹介させて頂きます。
『読書に関わる脳の領域は言語能力や記憶に関わる部位だけではないことも分かっています。(中略)
学生が小説を精読している最中には、運動や触覚に関係する複数の異なる脳領域が活性化していることを発見しました。つまり、小説をしっかり読み、その物語に没入している人は、小説の登場人物の行動や感情を能動的に疑似体験しており、そのために登場人物が感じている感情や行っている活動に関わる脳の領域が読者の脳でも活性化されるのです。』
この効果が得られるのは「精読」した場合である事は極めて興味深いです。裏返せば、タイパ重視であらすじや要約をサラッと掴むタイプの読書ではこの効果は保証されないという事にもなります。
さて、今回のnote記事のタイトルは「脳活性ツールとしてのピアノの3つの可能性」です。「精読」が様々な脳領域を同時に活性化させ神経回路の接続を強化するのと同様に、「ピアノ演奏」からも取り組み方次第で高い脳トレ効果が得られることがわかってきています。
この事例については、下記の書籍のP.249~250より引用します。
『図26は、2016年に発表されたクリエイティビティに関する論文をもとにイラスト化した。あるピアニストに異なるディレクションをしてピアノを弾いてもらったときの脳の状態を研究したものだ。
A群は、楽譜通りに弾いてもらったとき、つまりピアノの鍵盤を意識して弾いてもらっている様子がわかるだろう。
反対にB群は、楽譜通りに弾くというより、むしろ「悲しみや喜びなどの特定の感情を表現すること」を意識して弾いてもらっている様子である。
同じピアノを弾くという行為でも、意識の仕方によって、もっと言えば「心を込めたかどうか」によって使われる脳のあり方は異なるかが研究されたのである。結果は、使われる脳の領域に大きな違いが出た。
ということは、同じピアニストが同じピアノを弾いても、決められた曲を決められた通りに弾いているときと、何らかのクリエイティブな操作をしているときでは、使われている脳の部位や違うということだ。(引用終わり)』
大変示唆に富んだ記述だと思います。
上手のA群、B群に加え、私が個人的に推奨したいのはC群「調性、コード進行、各フレーズやハーモニーにおいて特定の音が果たす役割」など、音楽構造を意識した、いわゆる「考えるピアノ」の実践です。
常日頃こんな事ばかり考えているので、音楽を聴く時も私の脳では音楽分析回路が高い活性を見せていると思います。たとえるなら、公認会計士が財務諸表を見た時のように、ソムリエがワインを味わっている時のレベルで、音楽を聴くだけで色々な脳領域が活性化するようになるのは、脳を鍛える上で良い手段になり得るでしょう。
さて、これで「脳を鍛えたい人が知っておくべき5つの概念」の内4つを紹介する事ができました。
最後の一つは「認知的流動性」(Cognitive Fluidity)ですが、ここまでで既に5,000文字を超えてしまったので、これについては次回の「後編」に回そうと思います(^-^;
AIが急激な進化を遂げている現在、AIに負けない人間のクリエイティブ領域を高める上で、「認知的流動性」は極めて重要な概念です。
次回もどうぞよろしくお願いします。
江古田Music School 代表 岩倉 康浩
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