最近の記事

理不尽からの脱出

中村哲氏が亡くなられた。 いつか起き得るかも知れないこととして。 世界中で理不尽なことが起きる。この国だってそうだ。 理不尽の連鎖の中で人は生きている。 中村哲氏を襲った人たちもまた理不尽の真ん中にいる。 そんな理不尽から抜け出す言葉をずっと考えていた。 自分の言葉としてその理不尽さからどうやって抜け出せるのか。その光景をずっと探し見つからなかった。つい先日まで。 先週、ペシャワール会の会報が届き、そこに書かれていたのは灌漑が行われる前と灌漑が行われ水路が開かれた後のガンベリ

    • 将棋の短歌

      短歌をはじめてはや3年余。短歌よりはるかに長い時間を費やしてきた将棋に関する歌を数えてみると50近くある。1000を超える中からだから多くはない。けれど、他のうたとは違い、個人的な実感のこもった歌が多いような気がする。結社誌に提出したもの、短歌誌に佳作掲載されたものもある。日の目を見ずに埋もれていたものもある。とりあえず集めてみた。 信号を待つ白い息「ナナロクフハチヨンフ」矢倉定跡そらんじる 審判の合図にあわせいっせいに駒音激しやがてしんとす 将棋指す子のしぐさ我と同じ

      • 山階基さんの|note(ノート)「そんなのありですか?」を読んで。

        山階さんのnoteを読んで、 ふつふつとわいてきたことをツイートしようと考えていたら とてもツイッターでは書けるものではなくなってしまった。 初noteしてみる。そしてツイッターに投稿する。 短歌(芸術)とはxxである(べき)という考え。  例えば ・短歌は57577であるべき ・短歌は31音であるべき ・短歌には韻律があるべき ・短歌は一首で作品として成立すべき。(たとえ連作であっても) ・短歌は真剣であるべき。 ・短歌は作者主体に即しているべき。 ・短歌は短歌ならではの

      理不尽からの脱出