理不尽からの脱出

中村哲氏が亡くなられた。
いつか起き得るかも知れないこととして。
世界中で理不尽なことが起きる。この国だってそうだ。
理不尽の連鎖の中で人は生きている。
中村哲氏を襲った人たちもまた理不尽の真ん中にいる。
そんな理不尽から抜け出す言葉をずっと考えていた。
自分の言葉としてその理不尽さからどうやって抜け出せるのか。その光景をずっと探し見つからなかった。つい先日まで。
先週、ペシャワール会の会報が届き、そこに書かれていたのは灌漑が行われる前と灌漑が行われ水路が開かれた後のガンベリの地だった。
ああ、これだきっとこれなんだと思った。
これを言葉にすればいいんだと思った。
理不尽な世界から抜ける言葉として。

歌をつくった

上蓋が壊れかけの郵便受けにペシャワール会の会報届く
ガンベリへつなぐ言葉が砂漠から農場となり養蜂始む
十六年かけて砂漠が田園となれる写真を指になぞりぬ

この歌を別につくっていた連作の最後にしようと思っていた。
これが理不尽な世界から脱出するための答えだと思った。

中村哲氏のご冥福を祈ります。

そして中村哲氏が亡くなったからといってアフガンの地を砂漠に戻してはいけない。きっとペシャワール会の人たちはそこでがんばろうとするだろう。そのがんばりを私たちは支え続けなければならない。そうでないと理不尽に対抗する力はなにもないことになってしまうから。アフガンのことではない、人のことだ。人が生きていき理不尽に絶望しそうになる中でそれでも生き続ける力は中村哲氏がペシャワール会が現地の人々が長い年月をかけて積み上げたあの、砂漠が水田になる写真の中にあるのだから。

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