【History2011~2024】いわきFCを好きになった人達に必ず知ってほしいこれまでのこと。そして、これからのこと
いよいよ2月24日、2024明治安田J2リーグが開幕。今シーズンも販売予定の「2024 IWAKI FC OFFICIAL HANDBOOK」に掲載するクラブヒストリー全文を先行公開。一部有料でお届けします。
文/前田成彦(フリーエディター)
■「東日本大震災」と「ドームいわきベース」
あなたはいわきFCと聞いて、何を思い浮かべるだろう。
KINGレッドと湊ブルーのエンブレム、若い選手達の鍛え上げられた筋肉、愛らしいマスコット。
もちろん、どれも間違っていない。ただしそれらは、あくまでこのクラブの一つの側面である。まずは知ってほしい。いわきFCは、東日本大震災からの復興への一助になることを目指して生まれたクラブだ、ということを。
「震災で傷ついた浜通りの人達の心に寄り添い、勇気を与える存在になる」
それは創設当初から持ち続ける想いであり、Jリーグで戦うことは、想いを実現する手段。
クラブは誕生以来、その姿勢を崩さない。
想いの原点は、アンダーアーマー日本総代理店・株式会社ドームの代表取締役CEOだった安田秀一と、株式会社いわきスポーツクラブ代表取締役・大倉智という二人の経営者の再会にある。震災復興への願い。そこに安田の考える「スポーツによる地域創生」と、大倉の考える「日本サッカーの変革」という二つの思想をかけ合わせ、いわきFCは生まれた。
話は2011年にさかのぼる。
3月11日に起こった東日本大震災から8日後。被災地の状況を見かねた安田がガソリンを満タンにした社用車に救援物資を積み込み「行ける所まで行こう」とたどり着いた場所が、いわき市小名浜だった。
これが、すべての始まりだ。
ドームはその後、復興支援を持続的に行うため、いわき市内に土地を購入。アンダーアーマー製品を扱う物流倉庫「ドームいわきベース」を建設し、復興の礎として地域で数百人を雇用した。
挑戦はさらに続く。
安田はかねてからスポーツの産業化、欧米にならったスタジアムを核とした都市再開発、そこで生まれた収益の教育への再投資の必要性などを唱えていた。同時に、福島県といわき市にも問題があった。原発事故の影響で市民が身体を動かす場所がなく、児童の肥満が進行していたのだ。
安田は倉庫の敷地にスポーツファシリティを整備して市民に開放すると同時に、スポーツチームの立ち上げを決意。この土地を、ドームが掲げる「スポーツによる社会価値の創造」というビジョンを実現する場としても機能させることを決めた。
そして2015年、プロジェクトに大倉智が合流する。
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