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仲間とともに、サッカーにすべてを。FW有田稜【Voice】

現在15ゴールを挙げてJ3得点ランキング1位の有田稜選手。絶好調のゴールゲッターのこれまでと今、そしてこれからについて、お話をうかがいます。

▼プロフィール
ありた・りょう
1999年福岡県出身 小倉工高-国士舘大
2022年いわきFC加入


■チームのために戦うことが、ゴールにつながる。

この9月から10月にかけ、いわきFCはFC岐阜、カマタマーレ讃岐、ガイナーレ鳥取、アスルクラロ沼津、愛媛FCに5連勝。J2昇格そしてJ3優勝に向け、一気にスパートをかけたこの5試合で8ゴールを挙げたのが、FW有田稜選手です。

岐阜戦では、45分に先制ゴール。続く讃岐戦では終盤に2ゴール。鳥取戦でも47分と82分に2ゴールを挙げ、続く沼津戦でも先制とダメ押しの2ゴール。愛媛戦でも85分に決勝点となるゴール。合計15得点でFC岐阜のFW藤岡浩介選手、鹿児島ユナイテッドFCの有田光希選手と並び、得点ランキングトップに躍り出ました。

まさに絶好調の有田選手に、まずは沼津戦のゴールの感想からお話をうかがっていきます。

「1点目はこぼれ球を狙っていました。ゴール前に入る迫力や入り方、体の動きなどは、前から指摘されていた課題。たまたまこぼれてきたボールに反応してゴールできたのは、いい所に入れたからだとプラスに捉えています。そして2点目は、岩渕さんのパスが百点だったので、流し込むだけでした」

この夏から有田選手が大きく伸びて攻撃陣の軸に座ったのは、J3優勝・J2昇格を目指すにチームにとって、本当に大きなことでした。

「今年2ケタは取りたいと思っていました。確かに上手くいきすぎている面はありますね。得点王は狙っていますが、まず大事なのはファンの皆さんに勇気と感動を届けることだと思っています」

有田選手が後半戦にここまで覚醒することを、開幕当初は誰も予想していませんでした。村主博正監督はこう語ります。

村主「彼に欠けているものが何なのかをチームとして指摘し、彼自身が自分の課題とまっすぐに向き合い、努力してきたことが理由でしょう」

いわきFCのFWは、ただ点を取ればいいわけではありません。ゴールはあくまで副産物。守備も含めたタスク、そして運動量は他チームのFWと比べものになりません。有田選手はチームのプレースタイルを理解し、得点以外の部分でも献身的に戦ってきました。

村主「そこが彼の最も変わった部分。だからこそ今、点を取れている。チームのために必死で戦っていることが、ゴールという結果となって自分に返ってきていると思います」

■この1年、すべてをサッカーに捧げる。

今年、国士館大から入団。J3得点王を見すえる有田選手ですが、開幕当初から活躍していたわけではありません。実は第1~2節はベンチ入りすらしていませんでした。

「チームに合流した時は、絶対にスタメンで出てやるという気持ちで、もちろん自信もあった。でも開幕前のトレーニングマッチで点を取れず、出遅れてしまって…。チャンスがたくさんある中で、自分だけが決められなかった。

 攻撃陣にはもともといい選手がそろっていますし、自分の実力不足を認めざるを得なかった。プロの世界は甘くないと思い知らされました」

壁にぶつかった大きな理由がパワー不足。身長185cmの大型ながら上半身は薄く、下半身の筋力も不足。そのため、いわきFCの強度の高いプレースタイルになかなか適応できずにいました。

「国士舘のサッカーといわきFCのサッカーはよく走るという点では似ています。でも、FWとして求められる役割は違います。大学時代は中央でどっしりと構えてボールを受け、前を向いてドリブルで仕掛けることが多かったですが、いわきFCのFWは相手DFの裏に抜ける動きを多く求められ、運動量もすごい。全員攻撃・全員守備で、前に全力でスプリントし、相手ボールになったら全力で戻る。そんなスタイルなので、なじむまでが本当に大変でした」

そんな状況でも自分の可能性を信じ、決して腐ることはありませんでした。

「どこかで必ずチャンスは来る。例え残り1分でも、ピッチに入れてさえもらえれば、絶対に結果を出せる」

そう考え、毎日の練習に励みました。そして第3節の愛媛FC戦、アウェーの地でチャンスが巡ってきます。

試合はいわきFCが終始押し続け、終盤まで1対0でリード。しかし後半アディショナルタイム、愛媛MF行友翔哉選手のミドルシュートで同点に。土壇場で振り出しに戻されてしまいました。

有田選手が投入されたのはその直後でした。最大にして唯一の期待はゴール。そんな状況で、見事に結果を出します。同じ国士館大出身のルーキー・MF伊藤稜馬選手が蹴ったFKに飛び込み、ヘディングシュート。Jリーグ初出場・初プレーで、決勝点となる劇的なゴールを決めたのです。

「正直、細かいことは覚えていません。夢中で突っ込んだら入っていました。でも結果を出せてほっとしましたし、すごくうれしかったです」

ギリギリの状況でゴールを挙げた有田選手はその後、ジョーカーとしての立ち位置を確立していきます。

4月20日の第5節・AC長野パルセイロ戦では後半からピッチへ。すぐさま高い位置でボールを奪ってゴール。またしてもシュート1本で得点を決めました。そして5月4日の第8節・福島ユナイテッドFCとのダービーに58分から出場。今度は79分にCKからヘディングで決勝弾。ここまで6試合に後半から出場し、シュートたった4本で3点を挙げる驚異的な決定率を見せつけました。

しかし、それだけで簡単にスターティングメンバーの座をつかめるほど、今年の攻撃陣のポジション争いは簡単ではありません。

確かにジョーカーとして計算できる存在にはなりました。しかし、攻撃陣の絶対的な核にはなり切れませんでした。そして福島ダービー以降はゴールもストップ。その背景に、まだ克服できていない課題があることは明白でした。

「この1年、すべてをサッカーに捧げる」

有田選手はそう覚悟を決め、課題の克服に取り組みました。プレーに安定感が不足している原因の一つがフィジカル。ゴールに向かうパワーと迫力をつけるために、そして何よりシーズンを通じて力を発揮し続けるために。有田選手は自分に足りないものと真摯に向き合い、努力を重ねました。

■「母を早く楽にさせてやりたかった」

そんな有田選手のキャリアを振り返っていきましょう。福岡県北九州市生まれ。国士館大~いわきFCの先輩でもあるMF宮本英治選手と同郷です。

サッカーを始めたのは小学校1年生の時。2歳上のお兄さんが地域のサッカークラブに入った影響で、有田選手も同じクラブに入りました。

「小学校はすべてのポジションをやりましたが、FWでプレーすることが多かったですね。当時から得点感覚には自信がありました。あのころはすごく楽しくて、毎日サッカーのことばかり考えていました」

中学校に入り、県有数の強豪クラブ「FC NEO」に入団。厳しい環境でもまれていきます。

「兄もそのクラブチームに入っていて、中学1年から3年生の試合に出て期待されていました。チームに入った時はそんな兄に追いつきたいと思っていましたが、周りの選手のレベルが高すぎました。自分の代にはスーパースターのような選手がそろっていて、足元の技術など、すべてで負けていました。

 1年生からユニホームをもらう選手もいる中、まるで試合に絡めなくて…。今思うとサッカー人生最初の挫折。本当に悔しかったですね。練習が終わったら必ず自分の課題に取り組むなど、死ぬほど努力しました」

積み重ねの甲斐あって、中学2年の途中からトップチームの試合に出場。そして中学3年でエースナンバーをもらうことができました。初めての挫折を乗り越えた経験から「好きなサッカーをこれからも続けていこう」という思いが心に芽生えます。

県ナンバーワンクラブのエース・有田選手のもとには、多くの強豪校から進学の誘いがありました。しかしすべてを断り、地元の小倉工業高校に進んだことには理由がありました。

「親孝行したかったんです。母は苦労して兄と僕を育ててくれて、平日は毎日働き詰めで疲れているのに、土日の試合の場所がどこであろうと必ずかけつけて応援してくれた。自分達にすべてを捧げてくれた母親を早く楽にさせてやりたかったから、高校を出たら就職すると決めていました。

 実際、兄もそうでした。兄は自分よりもサッカーの才能があったのに『おかんに楽をさせたい』と誘いをすべて断り、小倉工業に進んだ。そんな兄が誇らしかったし、自分も母を助けたかった。兄とは2年違いなので一緒に試合に出られる可能性もあり、その姿を母に見せたいという思いもありました」

サッカーを続けたい。プロサッカー選手になりたい。そんな思いにフタをして小倉工業高校へ。県内で一番強いクラブと地元の工業高校では、まったく環境が違いました。グラウンドは野球部と半分ずつ。試合用に1面作ると、野球のマウンドがピッチに重なってしまう。そんな現状にもめげることなく、仲間達と切磋琢磨していきます。

「得意なドリブルなど好きなことを自由にやらせてもらい、3年間楽しくサッカーできました。3年の時はキャプテンにはなりませんでしたが、チームの王様的存在。誰よりも厳しかったと思います。同学年だけでなく、先輩にも容赦なくブチ切れたりしていました(笑)。絶対に負けたくなかったんです」

小倉工サッカー部は有田選手を中心に、23年ぶりに県予選を突破するなど、歴代随一の成績を残しました。高い能力は当然、多くのサッカー強豪大学から注目を集めます。そんな中、国士舘大学でサッカーを続ける道を選んだのは、選手権の二次予選が始まる前のことでした。

「話はいろいろありましたが『就職するから』とすべて断っていました。でも国士舘の大澤英雄理事長がわざわざ小倉まで来て、直々に声をかけてくださって…。もちろんサッカーを続けたかったし、プロへの憧れもあった。高校を出たら就職するつもりだったので、悩みました。

 そんな時に母が『大学に行って、大好きなサッカーを思い切り頑張ってこい』と後押ししてくれたんです。兄も『おかんのことは大丈夫だから気にするな』と。

 思い返せば、母は何も強制せず、いつも自分の選択を応援してくれました。そして兄は自分よりも才能があったのに、高校を出て就職して母親を支えてくれた。もし兄が就職していなかったら、今の自分は絶対にない。高校を出てどこかに就職していたはずです。母と兄が大学でサッカーを続けさせてくれたことには、感謝しかありません」

有田選手は家族の思いを背負い、東京でサッカーを頑張ることを決意しました。

■仲間がいてくれたから、サッカーを続けられた。

「小倉工業の王様」として。自信を持って入部した国士館大学サッカー部。でも「入った瞬間、辞めたくなった」と語ります。全国からレベルの高い選手が集まってくる環境の中、テクニックもフィジカルも周りの選手と大きな差がありました

「世代別代表の経験もあるような選手が全国から集まっていて、高校時代に伸びていた鼻を完全に折られました。中学時代に次ぐ二度目の挫折でしたね」

回りの選手に追いつくため努力を重ねましたが、なかなか上手くいきません。理由はケガ。都度重なる負傷で、1年生から3年生まで、ほとんど試合に絡むことができないまま、時が過ぎていきます。

そんな苦しい大学生活で支えとなったのは、仲間の存在でした。振り返れば小学校から大学まで、そばにはいつも、ともに励まし合う素晴らしい仲間がいました。その中でも、大学でともにプレーしたある一人の背中を見続けていました。

「今、サガン鳥栖にいる梶谷政仁選手です。同じFWですが、ライバルと言うにはおこがましい存在で、ずっと彼を追いかけていました。

 正直、勝っている部分はぜんぜんなかった。彼は1年生から試合に出ているすごい選手。それなのに、いつも自分のプレーをほめてくれて、ケガで試合に絡めない時も励ましてくれた。だから、すごく感謝しています」

大学4年になり、そんな梶谷選手が負傷したことでチャンスが回ってきます。有田選手は梶谷選手の穴を見事に埋めて大活躍。中でもインパクトが大きかったのが、関東大学サッカーリーグの法政大学戦でした。首位を争う相手との試合でハットトリックを達成。突如現れた大型FWの活躍は、大きな話題となりました。

有田選手はこの年の関東大学リーグで2ケタ得点を記録。苦しい3年間でも諦めずに努力を続けたことで、やっと道が開けました。そのポテンシャルを早くから見抜き、一番手でオファーしてきたのが、当時JFLにいたいわきFCでした。

「国士館の先輩である谷村(海那)さんや(宮本)英治さんが入団していたので、フィジカルトレーニングに取り組んでめちゃくちゃ走るサッカーをすることは知っていました。最初に会いに来てくださって、本当にうれしかったです」

法政戦の活躍で存在を知り、獲得を打診してきた上位のJクラブもあったようです。それでも、有田選手はいわきFCを選びました。

チームに合流すると、選手のレベルは予想以上でした。身体が強く多彩な動きができる鈴木翔大選手、鹿島アントラーズのユース育ちでテクニックのある有馬幸太郎選手、セカンドストライカーとして抜群の得点感覚を持つ岩渕弘人選手など、アタッカー陣のレベルの高さには驚かされました。そして、彼らの真面目にひたむきにサッカーに取り組む姿勢もまた、学ぶべきものでした。

「先輩もすごく優しいですし、そもそもチームの雰囲気も乱す選手が一人もいない。選手とスタッフ全員が同じ方向を向いて頑張っていることが、強さの理由だとわかりました」

同じFWとしてポジションを争い、時には2トップを組む有馬幸太郎選手は、有田選手についてこう語ります。

有馬「年齢は有田選手の方が1年上ですが、チームで活動している間はほぼ一緒にいます。他愛もない話をすることも多いですね。すごく仲良くさせてもらっていますし、一番プレーしやすい選手です。有田選手は前へのパワーと走力があるストライカー。自分とは持ち味が異なり、試合を重ねるにつれて特徴がわかってきた。2人でスペースを作ったり崩したり、といったことが、今はスムーズにできています。ここに来てたくさん点を取っているのは、本当にうれしいこと。きつい時などに頑張っている姿を見ると、自分ももっとやらなきゃと思います。いい影響を与えてもらっています」

学生時代に続き、またしても素晴らしい仲間達と巡り会うことができました。ライバルと切磋琢磨しながら、有田選手は成長を加速させていきます。

■自己評価はしない。常に謙虚でいたい。

第3節のファーストタッチでのゴール以降、ジョーカーとして頭角を表した有田選手。しかし今年の春時点で、村主監督の評価は「いいプレーをする時はあるが、それをコンスタントに続ける安定感がない。フィジカルが弱く、簡単に倒れてしまうことがある」というものでした。

有田選手は課題と向き合い、努力を重ね続けていました。チーム全体で行うストレングストレーニングに加え、秋本真吾コーチに教わったふくらはぎの強化メニューをこなし、アジリティや切り返しの動き、跳躍力などを強化していきます。

「毎日の練習の中で、コンタクトの場面で倒れないことを意識しました。スタッフからは常々『絶対に倒れるな』と言われています。それはいわきFCの大事なコンセプトでもある。倒れないことを心がけ、そのためのフィジカルトレーニングに励んだことで身体が安定。徐々にプレーが変わってきました。

 それに加えて試合2日前、英治さんや鈴木翔大選手と必ずストレングストレーニングをするようになりました。3カ月前ぐらいから続けています。バチバチに追い込むので始めたころはきつかったですが、もう慣れちゃいました。ストレングスは週3回やっています。少しぐらい筋肉が張っている方が、試合ではいい動きができます」

ゴールは出ませんでしたが、パフォーマンスは徐々に上昇曲線を描いていきました。そして6月19日にホームで行われた第13節・ギラヴァンツ北九州戦で、ついに初先発。相手が地元・北九州のチームということもあり、攻守にわたり高いテンションでプレーしました。

結果は引き分け。ゴールを挙げることはできませんでしたが、有田選手はこの試合をきっかけに「先発でもやれる」という手応えをつかんでいきます。

7月30日の第19節・カターレ富山戦。0対1のビハインドで迎えた87分にピッチへ。直後の左サイドからのクロスをFW吉澤柊が胸で落とし、そのボールをゴールネットに突き刺しました。またしてもファーストタッチで、チームを救う値千金の同点弾。そして、約3カ月ぶりの今季4ゴール目となりました。

そして8月7日の第18節・松本山雅FC戦。有田選手は再び先発を勝ち取ります。この試合でのゴールはならなかったものの、翌週以降もスターティングメンバーの座を確保。そこからゴールラッシュが始まります。8月13日の第20節・ヴァンラーレ八戸戦で2ゴール。さらには翌週にホームで行われた福島ダービーでも終盤にゴール。8月に4試合連続で先発して3ゴール。その結果、リーグ月間MVPに選出されました。そして、その後の活躍は言うまでもありません。

いよいよ見えてきた優勝・昇格そして得点王。周囲から受ける熱い期待に対しても、舞い上がることは決してありません。

「自分は自己評価をしないと決めていて、過去を振り返ることもありません。結局、評価するのは周りの人ですからね。勝手に自分を評価して鼻が伸びても意味がない。まだまだ足らない部分だらけなので、今の結果に満足なんてまったくありません。まだまだ上に行くつもりですし、常に謙虚でいたい。

 J3もいよいよ終盤戦。もちろん優勝・昇格は大きな目標ですが、こだわり過ぎてもいけない。目の前の試合で、ファンの皆さんに何を届けられるのか。今、いわきFCが誕生した理由を自分なりに深く考えているんです。試合でのパフォーマンスを通じて、地域の子ども達に夢を与える存在になれたらいいですね」

▼有田稜選手をもっとよく知るQ&A
Q1:9月の第24節・ギラヴァンツ北九州戦で地元に凱旋した時は、どんな気持ちでしたか?
A1:試合が楽しみで仕方なかったです。家族や地元の仲間を始め、予想以上に多くの人達が見に来てくれて本当にうれしかった。地元の仲間は、帰省するたびに集まってくれる大切な存在。仲間の中でプロサッカー選手になっているのは自分だけなので、中途半端なプレーはできない。みんなの期待を背負っていることが原動力になっています。

Q2:仲良くしている選手は誰ですか?
A2:同じ北九州出身で大学の先輩である宮本英治さんと、同じFWの有馬幸太郎選手です。有馬選手とはビリヤードに行くことがあります。

Q3:個人的にプレーしやすいアタッカーの選手は誰ですか?
A3:この選手と組みやすい、組みにくいというのは特にないんです。有馬選手と2トップを組むことが多かったので多少やりやすさはあるかもしれません。でも、古川大悟選手と組んでもまったく問題ないです。みんないいものを持っている選手なので、それを引き出してあげたいと思っています。

Q4:休みの日は何をしていますか?
A4:ここ数カ月はいつもグランドに来ています。軽く走って筋トレをしたり、という感じですね。あとは家でゆっくりしています。いわきで出かける場所をぜんぜん知らないんですよ。皆さんぜひ教えてください(笑)。

Q5:自宅では、どんなことをしてリラックスしているんですか?
A5:YouTubeやNetflixを見たりですかね。オススメのチャンネルや番組ですか!? 逆に自分が知りたい(笑)。こちらもぜひ教えてください。あとは地元の友達と電話をしたり。サッカーをしていた仲間に限らず、地元の幼なじみとも話します。地元のニュースや世の中で起きていることを、いろいろ質問しています。

次回は流通経済大から今年入団し、恵まれた体格とヘディングの強さで守備の中心選手となった家泉怜依選手に、お話をうかがいます。

お楽しみに!

(終わり)

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