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逆境が自分を動かす。MF永井颯太【Voice】

独特のリズムでボールを運び、決定的なチャンスを作り出すドリブラー。チームに数少ない、個で展開を変えられるゲームチェンジャー。MF永井颯太選手のこれまでとこれからについて、お話をうかがいます。

▼プロフィール
ながい・そうた

1999年生まれ。
中央学院高→流通経済大→いわきFC
2022年いわきFC入団

■迷い、苦しんだ1週間。

2023年10月8日、明治安田生命J2リーグ第38節・ベガルタ仙台戦。いわきFCは前半に先制したものの、徐々に仙台にペースをつかまれ、逆転を許してしまいます。そして、1対2のビハインドで迎えた66分のことでした。

「思い切りやってこい」

田村雄三監督はそう言って、チーム屈指のドリブラー・MF永井颯太選手を戦いの場へと送り出しました。

「絶対に見返してやる」

永井選手はこの時、強い思いを胸に、ハワイアンズスタジアムいわきのピッチに立っていました。

試合前の1週間、苦しい時間を過ごしてきました。第37節の町田戦、チームは首位を独走する相手に、後半途中まで3対0とリード。しかし終盤、1点差に追い上げられ、。最終スコアは3対2。1点差に迫られるゴールのきっかけとなったのが、永井選手の緩慢な守備でした。

プロサッカーチームにとって「1点」の重みは絶大。一人の選手の気を抜いたプレーがチームの命運、さらには多くの選手の生活まで変えてしまう。それは決して珍しいことではありません。試合に出られるのは、チームのために走れる選手。なぜこのクラブでプレーするのかを理解し、チームが大事にしていること、約束事を頭に入れなくてはいけません。そして、それらを守れない選手に居場所は与えられないのです。

3トップの左ウイングに入った永井選手は、生き残りを懸けて必死で走りました。交代から2分後の68分、FW谷村海那選手が右サイドをえぐり、ゴールに迫ります。逆サイドにいた永井選手はいち早く中央に絞り、これが結果につながります。ゴール前のこぼれ球を蹴り込み、うれしいプロ初ゴール。試合後、仙台戦までの苦しかった1週間を振り返り、笑顔でこう語ってくれました。

「本当によかったです。ボールが目の前にこぼれてきたので、コースは考えずに思い切り打ちました。ゴールの瞬間は頭が真っ白でした。今までも何度かチャンスはありましたが、思いのほか時間がかかってしまいました。

町田戦ではセカンドボールに対する反応が遅れ、失点のきっかけを作ってしまいました。自分のウィークポイントがもろに出た試合です。監督からは『この試合から何かを感じ取らなくてはいけない』と言われました。ここ最近、ドリブルで仕掛けたい気持ちが強すぎて、チームとしてやるべきことを怠っていた。今節の戦いに向けて1週間、チームのために、得点のためにどう動くか考え、自分に矢印を向けてきました。だから、結果が出てよかったです」

そんな永井選手について、田村監督はこのように語ります

「町田戦のミスについては、試合後に厳しく言いました。失点を未然に防ぐために以前から指摘してきましたが、彼はやり切っていなかった。だから、実際に失点をした時は『やっぱり』と思いました。本当はもっと早く気づかせなくてはいけなかった。
1点という高い代償を払いましたが、それを自分で感じて反省し、次に向かう。我々はそれを手助けすることしかできません。彼が自分と向き合い、我が事感を持ってサッカーに取り組む。町田戦のミスと今回のゴールがそのきっかけになれば、と思います」

永井選手の初ゴールでスコアは2対2となり、試合は引き分け。いわきFCはJ2残留に向け、貴重な勝ち点1を得ました。

■周囲の人達の支えがあるから、サッカーができている。

福島県に接した、栃木県那須町で生まれた永井選手。お父さんの仕事の関係で生まれて間もなくアメリカに行き、お兄さんの影響でサッカーを始めました。

「小さいころなのでよく覚えていないのですが。オハイオ州に住んでいました。3歳上の兄がサッカーやっていて、僕はたぶん3歳ぐらいからやっていたと思います」

小学校に上がる前に帰国し、近くのクラブでサッカーを続けました。今からは想像できませんが、最初のポジションはCB。当時から、ドリブルで後ろから持ち上がっていくのが得意だったそうです。

ドリブルにもっと磨きをかけたい。そんな思いから、小学5年生の時、永井選手は隣町の福島県白河市にある「ホワイトリバーFC」に入りました。しかし、東日本大震災により野外でのサッカーが禁止に。チームはやむなく、県外の体育館などで活動を続けました。

「外でサッカーができなくなってしまうのは、何とも言えない気分でした。でも、ボールに触れられていただけ幸せだった。そして、周囲の支えがあるからこそ、自分がサッカーができていることを実感しました。特に、片道40分ぐるいかかる練習の送り迎えをして食事を作ってくれる両親には、感謝しかありません。震災の経験を通じて、その思いが強くなりました」

中学では強豪クラブ「Vamos福島FC」へ。ここでも得意のドリブルを生かして活躍しました。ポジションはボランチとトップ下、サイドハーフ。好きなサッカー選手は、FCバルセロナとヴィッセル神戸で活躍したアンドレス・イニエスタ。そして元アルゼンチン代表のパブロ・アイマール、元ウルグアイ代表のアルバロ・レコバなど。アイマールやレコバといった少し前の選手に影響を受けた理由を、永井選手はこう語ります。

「父親が昔のワールドカップ総集編のDVDを、サッカーの練習に行く車の中で見せてくれたからです。父はサッカーをやっていませんでしたが、僕の送り迎えをするうちに好きになって、いつの間にかのめり込んでいました(笑)」

周囲の厚いサポートもあり、永井選手はドリブラーとして成長していきました。中学卒業後、生まれ育った那須を離れて千葉県にある中央学院高に進学。中央学院高は、個人技を重視したサッカーを展開するとがったチーム。同級生には福田望久斗選手(鹿児島ユナイテッドFC)、山内彰選手(FC岐阜)などがいます。個性が重視される環境で、永井選手はテクニックに磨きをかけていきました。

高校時代で最も印象に残っているのは、全国高校サッカー選手権千葉予選・決勝トーナメント準々決勝の市立船橋戦です。

「3年間の集大成にとしてふさわしいプレーができ、人生で一番楽しかった試合です。得意のターンで1枚はがしたことをよく覚えています。決まった時はうれしかったですね。試合は0対2で負けてしまいましたが、いい試合ができました」

ドリブルという個性を磨き上げ、サッカーを楽しんだ高校時代。しかしこの後、永井選手は大学サッカー、そしてプロの厳しい壁に突き当たることになります。

■振り返ると悔いばかりだった大学時代。

高校を卒業し、流通経済大へ。大学の同級生にはDF家泉怜依選手、GK鹿野修平選手がいました。

このころ、プロサッカー選手になるという夢は現実的な目標となっていました。しかし、層の厚い流経大サッカー部のトップチームで出場機会をつかむのは、並大抵のことではありません。思い悩む永井選手に影響を与えてくれたのが、大学3年時に就任した曺貴裁コーチ(当時)でした。

「本当に大きな出会いでした。教わったことは数え切れませんね。よく覚えているのが『プロは練習でお金をもらっている。練習で120%の力を出して、お金を取れる練習をしなさい』という言葉。曺さんの影響はすごく大きくて、チームも自分自身も変わったと思います。最初はどこかぬるいところがあったチームの空気がどんどん変わっていき、関東大学サッカーリーグ2部とアミノバイタルカップで優勝できましたから。

すごくコミュニケーションを取ってくださる方で、サッカーだけでなくプライベートでもいろいろ話しました。年齢がすごく離れているのに、僕らの目線に降りて、まるで選手同士のように話してくださった。感謝しています」

しかし迎えた翌年は、中途半端な形で終わってしまいます。シーズン前半で負傷。その影響で、トップチームの試合にほとんど絡めないまま、大学生活最後のシーズンが過ぎていきました。

「振り返ると悔いばかり。中途半端でした。上を目指すなら、変わらなきゃいけない。それはわかっていたんです。でも、できませんでした」

もしかすると、プロサッカー選手になれないかもしれない。そんな不安を抱えていましたが、4年の夏、いわきFCへの入団が決まります。

「もう絶対に、大学時代のような悔しい思いはしたくない」

永井選手はそう心に誓い、いわきFCでのキャリアをスタートさせました。しかし、Jリーグという夢見ていた世界は、想像よりずっと厳しいものでした。

■この思いを絶対に忘れてはいけない。

2022年、Jリーグ1年目のいわきFCに加入。幼少期にサッカーを学んだ福島県でプロサッカー選手になるのは、特別なことでした。

しかし、現実は甘くありません。最初はついていくので精一杯。チームが求めるフィジカルや球際の強さの水準に達することができず、3月にシーズンが開幕しても、なかなか出場機会を得られませんでした。

「このチームは自分には向いていない。そう思うこともありました。でもそのたびに、それは逃げだと思い直しました。振り返ると、当時は自分に矢印を向けられていなかった。そもそも本当にいい選手は、どんなチームにいても試合に出られるはずですから」

徐々に身体ができ、チームの戦い方に慣れるにつれ、永井選手はパフォーマンスを上げていきました。それがスタッフの目に留まり、永井選手は2022年4月17日、J3リーグ第6節のFC今治戦でデビュー。J3では全7試合に出場しました。

しかし、ここで不運が襲います。7月の練習中に骨折し、全治5カ月。チームが勢いに乗り、優勝争いをしていた大事な時期に試合に出られず、地道なリハビリの日々を過ごすことに。

「ケガをした瞬間は正直、実感がわきませんでした。その後冷静になると、サッカーができない現実にどんどんストレスが溜まっていきました。自分が何もできない間に、チームは勝ち続けている。その現実につい押しつぶされそうになり『もしかすると自分はチームに必要ない人間なのか』とすら、思うようになっていました」

できることが少ないリハビリ期間。永井選手はひたすら筋トレに打ち込みました。午前中にチームがグラウンドで練習をしている間はリハビリメニューをこなし、午後は穂刈敦トレーナーとともに、シーズンイン時の鍛錬期のようなハードトレーニングを週4日行いました。そんなつらい時期、励みになったのは仲間の存在です。

「当時、一緒にリハビリをしていたMF芳賀日陽選手とDF星キョーワァン選手(現・ブラウブリッツ秋田)の存在に助けられました。今、自分達は一番下にいる。でも、復帰したら絶対に見返してやる。スタメンを食ってやる。その気持ちを共有し、励まし合いながら過ごしました。

ここまでの自分を動かしてきたのは、負けたくない、悔しいといった思い。それは大学4年の時にもありました。自分はできる、楽しいといったプラスの思いより、マイナスの感情で動くことが多いんですよ」

チームは永井選手を欠く間も好調を維持。首位を独走し、11月にJ3優勝を果たしました。

「決まった時は正直、最悪な気分でした。もちろんチームメイトの頑張りはうれしかったし、J2でプレーできることは喜ばしい。でも、優勝に関われないことが本当に悔しかった。この思いを絶対に忘れてはいけないし、ここで喜んではいけない。変わらなきゃいけない。そう思って、気持ちを引き締めました。

ただ、これだけは言えます。夏から続けたリハビリを通じて、スピード、スプリント能力、走行距離、すべての数値が上がりました。そしてそれだけでなく、何よりメンタルが強くなった。リハビリ期間に誰よりも厳しいトレーニングをこなし、簡単に折れない自分を作ることができたと思います」

■1本1本のシュートに対し、どれだけ突き詰められるか。

「J2で1試合1試合、全力で戦う。チームメイトは仲間だけどライバル。だから1日の練習の中で、誰にも負けてはいけない」

捲土重来を誓った2023年。見違えるようにたくましくなった永井選手は、強い思いを持ってシーズンに臨みました。

今年は第40節終了時点で14試合に先発出場し、21試合に交代出場。シーズン終盤の今は主にサブとして流れを変える役割を担っていますが、やはりスタートから出たいという思いが強いようです。

「プレー時間が長いほど、自分はやりやすい。だから、本当は最初から出たいです。チームにはいろいろなタイプのアタッカーがいますが、自分はのアピールポイントはやっぱりドリブル。小さいころから磨いてきた武器で、違いを出したい。でも、それだけではダメ。この世界は結果を出してなんぼ。やっぱり明確な数字がほしいです」

開幕前に掲げた目標はシーズン10ゴール。そこから考えれば、第40節を終えて1ゴール2アシストという数字は、満足からほど遠いのは確か。田村監督は永井選手の課題について、このように語ります。

田村「成長してはいますが、まだ物足りないですね。ドリブル、仕掛ける、前を向く。そういった力はチームでも上の方ですが、仕掛けて満足して終わっている。例えば彼はドリブルからのカットインが得意ですが、その先で何をしたいのかが見えない。シュートを打つためのカットインになっていないんです。本来はいい形でシュートを打つことから逆算し、なぜカットインするのかを理解しなくてはいけない。
彼が得点を取るために必要なのはまず、シュートを打つ意識。そして、シュートに至る自分の形を作ることです。そして右足ばかりでなく、左足も使えるようになること。それができれば、持ち味のドリブルがもっと生きる。今は踏ん張りどころです」

最後に、永井選手は今シーズンのこれまでの取り組みを振り返り、こう語ってくれました。

「少し前、GK田中謙吾選手から『1本1本のシュートに対し、どれだけ突き詰められるか。その意識をもっと大事にした方がいい』というアドバイスをもらったんです。確かにその通りだと思いました。シュート練習はもちろんやっていましたが、実際に1本1本にギリギリまで集中していたかというと、そうではなかった。口では点を取りたいと言っていたけれど、実際はドリブルで流れを変えるところで終わっていた。

確かに得意のドリブルは、J2でも通用していると思います。でも全体を見れば、まだクオリティが低い。具体的には不得意な守備、そしてシュートと左足のクロスのレベルをもっと上げなくてはいけない。不得意なことと、もっと向き合っていきたい。町田戦のミスをまだ完全に吹っ切ったわけではないのですが、悩みながらも前に進んでいきます」

▼永井颯太選手をもっとよく知る3つのQ&A
Q1:チームで仲よくしている選手は誰ですか?
A1:みんな仲いいんですが、よく食事に一緒に行くのは同期のDF家泉怜依とFW杉山怜央です。家泉は大学4年間、寮で同じ部屋でした。家族に近い存在ですね。たまに言い合いの喧嘩をすることもありますが、家泉は負けず嫌い。自分が大人になることが多いです(笑)。

Q2:行きつけのお店はどこですか?
A2:いろいろ行きますが、この前Rootsという湯本にあるお店で食事させていただきました。フルーツが有名なお店で、本当においしかったです。

Q3:オフは何をして過ごしていますか。
A3:今はシーズン終盤で疲れもあるのでなかなか行けませんが、余裕がある時はカラオケやダーツ、ゴルフ、サウナなどですね。カラオケは芳賀、あとは家泉と一緒に行きます。男だけでひたすら歌っていますよ。ゴルフは今年始めましたが、スコアはちょっと言えません(笑)。

次回もいわきFCの選手達の熱いVoiceをお伝えします。お楽しみに!

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