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共感は求めない、でも承認されると嬉しい。それでいいじゃない

半年前に投稿した 自分の「面白い」が共感されない27年間。でもそれでよかったの記事が、エンジニアと人生コミュニティのSlackでフリーランスiOSエンジニアの堤さん に「めっちゃいい。」「この境地には憧れる」とコメントされて嬉しかった話とその時の心情について話をしたいと思います。

その影響もあってか、このnoteのイイね数は30以上伸びていました。堤さんの影響力おそるべし... ありがとうございます!

その他コメントとして

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というコメントをいただきました (エンジニアと人生コミュニティのSlackから抜粋)
ありがとうございます。

「共感される必要はない」という境地に至るまで3つのステップ

「共感される必要はない」という境地に至るまで3つのステップがありました。

①「嫌われる勇気」の「課題の分離」という考え方
② 自分が根本的に面白いと思うことは「共感」されないという開き直り
③ 最初「共感」されなくても、人を巻き込むことができたという成功体験

以前のnoteで述べたのは、②③の話でした。
この記事では、②③の直近の事例と、①の話 + 承認欲求の話をしたいと思います。

「東工大生を活躍させたい」という共感されない想いから生まれたIwaken Lab.

前回の記事の1か月後に、学生と一緒に技術で社会インパクトを与えるIwaken Lab.というコミュニティを始めました。

前回の記事から引用すると

僕は野球が大好きだった。チームの勝利に自分で工夫して貢献するのが楽しかった。そして、自分がプレイヤーとしてバットを振ることに魅力を感じてなかった。
だから高校生になる時、野球部の男子マネージャーができる地元の野球強豪校に入学した。

僕はプレイヤーの力を引き出して試合に勝つことが何よりも面白いと思っている人間だ。
まだ自分すら活躍できていないのに、他人を活躍させたいという考えにいたるのは僕だけだろう。

僕は他人を活躍させることが最も面白いと思っている人間です。自分を活躍させるのは、他人を活躍させる手段です。

この話を知り合いにすると「そこまで母校に想い入れしてすごい」とポジティブな意見はもらえるものの、共感はされないわけです。

思っても、そこまで行動できない人がほとんどなのだなぁと。
共感されないことは昔は悲しいと思っていましたが、
今では「自分が共感されてもされなくても、面白いと思ったことを信じて進めてみよう」という気持ちでやっています。

最初は「東工大生活躍させたい!」とTwitterやClubhouseで叫ぶことが始めました。
そこからたまたま東工大のVCをしている金子さんに出会い、東工大生と高専生の前で登壇することになりました。

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ここで僕は「東工大生と高専生,AR/MRが好きだ」という話と「仕事を楽しむための人生の歩み方」を語りました。

この話で興味を持ってくれた、1人の東工大生が「イワケンさんとMRをやりたいです!」とDMをくださり、一緒に何かやるかということでIwaken Lab.を作りました。
現在、大学生9名と私含めて10名のメンバーで週に1回、作戦会議をしています。

最初は「共感」されなくても、自分の心からの想いを発信し続けると、人がついてくることがあるのだなと改めて思いました。

この流れは、デレク・シヴァーズさんの「社会運動はどうやって起こすのか」に通じるものを感じました。

社会運動を始める一番初めの人は、「勇気を持って嘲笑されなければならない」と言います。

ただ、デレク・シヴァーズが言うには、この2人目の役割が社会運動を起こすことが、とてつもなく大事だということです。

「2人目」という存在によって、「1人のバカがリーダーに変わる」のです。そしてそこから集団ができ始めます。

私は最初は1人のバカだったのかもしれない。しかし「2人目」という存在によって、リーダーとなってチームになったのです。

「嫌われる勇気」の「課題の分離」からすると「承認欲求は悪」か?

この私の「共感される必要はない」という境地のベースにあるのは、「嫌われる勇気」のアドラー心理学にある「課題の分離」という考え方です。

自由とは、と問いかける賞で以下のように述べられています。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他社の課題とを分離していく必要があるのです。

他者の課題には踏みこまない。

誰の課題か「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。
(引用: 嫌われる勇気)

この本の具体例では「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」という例もありました。

今回の私の記事でいうと

私ができることは「自分はこういうことが面白いと思っている」と発言するところまでで、それに共感するかは相手の課題である。と思って踏み込まないのが課題の分離、という考えであります。

つまり、自由になるためには、相手に共感することを心の中で求めてはいけないということです。

私はこの思考法で7年間以上訓練してきました。だから、「共感される必要はない」という境地になることができたのだと思います。

さて、この考え方が皆さんに受け入れにくいのは「承認欲求」が否定されている点でしょう。

本の中でも

アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定します。

とはっきりと書かれています。

ここについて自分の考えを書いてこの記事を終わりにしたいと思います。

承認されたら嬉しい、でも求めない。依存ではなく活用していく

ここからは私の解釈なのですが、人生の「自由」を目指したときに

承認を求めること、すなわち「他人に褒められたい!」という気持ちは極力なくすべき

一方で

誰かに承認されたら、素直に喜んでいい。その気持ちを活用していく

と思っています。

これは承認欲求の依存ではなく活用を目指す立場です。

承認欲求に依存している状態とは、褒められたいがために行動したり、他人に対してもっと褒められたい!という感情を持つ状態を指します。これは避けていこうよと。

一方、承認欲求を活用する状態とは、褒められたら嬉しいという気持ちを利用してモチベを上げたり、新たな成果をだしていこうという姿勢です。

現に、私は堤さんに承認のようなコメントをいただいて、嬉しかった。それを素直に認めたうえで、そのモチベを利用してこの記事を書いています。

しかし「もっともっと褒めて!」みたいなことは心の中で思わない、というのが依存しないという状態だと思っています。

まとめ:共感は求めない、でも承認されると嬉しい。それでいいじゃない

この記事では、共感を求めなくて大丈夫という話や、共感されなくても人を巻き込む具体例や、承認欲求とどう向かい合うべきかという話を書かせていただきました。

見ていただきありがとうございました!

最後に恩返し宣伝

堤さんのおかげでnoteが多くの人に見られたということで、恩返しに私から宣伝します。

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堤さんはエンジニアと人生コミュニティというオンラインサロンを運営されています。

私は月1000円でこちらのコミュニティに参加しているのですが、個人的オモシロポイントとしては

・Slackのtimesで投稿したことに対して社外のエンジニアの方から積極的にリアクションをいただける
・堤さんだけでなく、コミュニティメンバーの方も積極的にコミュニティ活動していて、生態系として面白い (勉強になる)
・堤さんとZoomでの1on1や懇親会、LT大会など開催される
・堤さんが人生論の話が好き

僕自身、技術の話よりもこういった人生論的な話が好きで、堤さんの考えや投稿を毎回楽しく見させていただいています。

僕のもう一つの目標としては、自分自身Youtubeチャンネルを持って、堤さんのYoutubeチャンネルとコラボするのが個人的な目標にしています (笑)
頑張ります。

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