夢見た校長先生にあるものは「覚悟」
やっと見られました
噂の「夢見る公立校長先生」が所沢で見られるということで、見てきました。
感想をざっくりと
私の個人的な感想であり、思い付きですので、悪しからず。
システムをなくすことがメインではない
映画で、強調されていたのが学校のシンボルの廃止です。
チャイム・通知表・テスト・机で授業、宿題などを無くすことがメインと感じれる映画展開でした。
しかし、校長先生の発言をよく聞くと、「通知表無くして面談で伝えます」の様に、「AをなくしてBをやる」作戦をとっている学校が多かったように思いました。
実は主人公は校長先生ではない
校長先生が学校を変えた印象を受ける映画です。しかし、学校で働く身からすると、変えることを許容した保護者の存在、変えることに賛同した教員たちの存在を強く感じました。やはり、学校は、校長と教員・保護者・子供で形成されています。全ての目線からよいと思われない限りなかなか変えることは難しいと思いました。
教育のファーストフード化
結局、明治から始まった学校教育ですが、これまでに大きく変わっておらず、学校が受け止めきれない子がたくさん出てきてるということです。
私は、明治から始まった教育は、教育を「ファーストフード」にしたのではないかと思いました。
つまり、ここから脱却するには、お金も・手間も・時間がかかってくると思います。しかし、現実を見てみると日本の学校教育にないものは、「お金」「人」「時間」です。つまり、最近の学校改革ムーブメントは、ないものを求める流れであるかなと思いました。
ないものを求めるということは、作り出すコストを払います。そして、継続するためのコストを継続的には払い続けます。つまり、コストを払う覚悟がある人たちが学校を変えることができたのです。今の学校を変えたい方に問います。
この言葉の主語は、教員であり、保護者であり、校長であり、子供たちでもあります。
例えば、宿題をなくします。
教員の場合、授業中に計算ドリルや漢字ドリル終わらせる覚悟はありますか?
保護者の場合、宿題がない不安感と戦う覚悟がありますか?宿題だからやっていた子をフォーローする覚悟はありますか?
子供たちの場合、宿題がなくなった分授業の仕方が分かりますがその覚悟がありますか?
他にも、お休みの子にオンラインすることに決めます。
教員の場合、手間が増えますが覚悟がありますか?
保護者の場合、オンライン準備のため、出席している子へ対応する時間が減りますが、その覚悟がありますか。
相手が置かれている環境が見えにくい学校
保護者目線ではいらないけど、教員目線ではいる。
保護者は自分の子ども目線で、教員はクラスの子目線。
保護者は家での様子目線で、教員は学校の様子目線。
つまり、目線が異なり、相手の置かれている立場も違うため、分かり合うことがなかなか難しいのです。
腹を割って話す
もし学校をよりよくできる場面があったら、関係している人の立場になって考える必要があると考えます。しかし、やったことのない先生の立場で考えるなんて無理と思うかもしれません。
なぜできないのか。それは情報が欠如しているからです。
担任の先生は何が好きなのか。
どうして先生になったのか。
先生の趣味は。
先生の大変なことは。
まだまだありますが、知らないので、答えられないですよね。
そこで情報を獲得にするのにおすすめなのが、腹を割って話す「対話」です。
保護者と話したら、何言われるかたまったもんじゃない。
そう思う方もいるかもしれません。
しかし、対話には種類があります。
対話の仕方を知ることで、相手の立場を理解しやすくなります。
では、どうやって「対話」をするとよいのか。
ヒントになりそうな本がそろそろ発売します。
ぜひ、お手に取ってみてください。