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文化人物録37(鳥飼玖美子)

鳥飼玖美子(英語通訳者、2013年)
→英語通訳の戦後における第一人者。特に国際会議の同時通訳では、現代史に残るような数々の場面で現場に立った。テレビの英語講座などでも人気を博し、英語教育に関する著書も多数。僕がお会いした時も物腰が柔らかく、話もたいへん分かりやすかった。いま英語の場合は「そこそこ話せる」人が多く、チャットGPTや翻訳ソフトなどの通訳や翻訳も「それなりのもの」が瞬時に出てくるために英語の通訳や翻訳が軽視されがちであるが、通常の会話やコミュニケーションはともかく、非常に重要な場面での英語はやはりプロの力が大きい。鳥飼さんのような存在は今後も必要不可欠である。   

*「戦後史の中の英語と私」(みすず書房)
・以前みすず書房から「通訳者と戦後日米外交」という本を出したのですが、通訳者としてのオーラルヒストリーだという書評があったのです。それが面白いなと感じました。戦後外交の歴史ではなく、本当は私がどう思っていたかを知りたかったということ書きたかった。ただその本は博士論文に基づいていたので調査者に徹していました。自分がオーラルヒストリーを書くとき、自伝というよりは時代背景を描きたかった。この時代に生まれていたからこそ、通訳者という仕事をしたのだと思います。

・高度経済成長期、日本は国際的なところ、外に目が向いていた。テレビも外国のことを多く取り上げていた。東京五輪、万博などがまさにその例です。私は何となく(時代に沿って)流れていたところ通訳者になったのだと思います。何かに導かれるように、偶然が偶然を呼んだと思っていましたが、振り返るとそれは必然だったのかもしれないと思うようになりました。はじめはパイオニアの話しもをっと入れるつもりでしたが、書いているうちに自分の話が多くなった。

・大学ではスペイン語を勉強し、高校での留学で言葉の重要性を思い知った。だから同時通訳者の姿を見た時に衝撃を受けました。国際会議場でのアルバイトだったのですが、私と同じくらいの若い女性が通訳として活躍していたのです。戦前は女性が同時通訳していることは嫌がられましたが、戦争が終わり民主主義となり、女性が活躍するようになった時代です。それで大学2年生の時、同時通訳者の訓練生を募集していたジャパンタイムスの広告を見て申し込んだのです。1965年に上智大のイスパニア語学科に入学、2年生なので66年のことですね。訓練生の中でも私が最も若かった。

・はじめての会議は緊張のあまり頭が真っ白で、気付いたら終わって「休憩に入ります」というアナウンスが聞こえました。先輩通訳のアシスタントを時々やるようになりました。翻訳と違うのは、言ってしまったらそれまで、という点です。分かりやすく言わなければいけませんが、1回きりです。楽しくやりがいのある仕事だと思いました。普通通訳者は企画会社に登録するのですが、登録しないうちに仕事が色々来るようになりました。

・テレビの仕事は最初、代役を頼まれたのが始まりです。テレビ朝日の木島則夫モーニングショーから通訳が必要だということで電話がかかってきた。在学中にテレビ出演が始まり、司会者のように週2回ほど出てました。モーニングショーは4年くらいやってました。

・上智は勉強も厳しく出欠は気にしなくていいとのことでしたが、授業と仕事で手一杯状態でした。サークルは1年生の時に入っていて留学しようと思っていましたが、結局大学では仕事のために留学できませんでした。仕事を必死にやり、チャンスが来たら全部やってました。それが今につながっているとは思います。

・通訳者はコミュニケーション能力が必要だと思います。外国語がいくらできても、コミュニケーションが出来なければだめです。アメリカでの1年間が大きかったです。それまでは人見知りでしたが、自分から話しかけないとわかってもらえなかったですから。

・通訳者になってからも英語を勉強しました。内容が政治など相当高度な内容で、背景知識が本当に必要なのです。いろんな分野の仕事をやりましたが、特に理系の内容は理解が大変でした。1969年のアポロ11号の月面着陸の時はテレ朝のスタッフと一緒に勉強しました。NASAのプレスキットでした。同時通訳の時は不定冠詞の「a」の訳し方が違うと気づいたので、何とか取り繕いました。

・通訳者としての転機もありました。裏方に徹して研究した後に主体的なコミュニケーションをやろうと思っていましたが、当時通訳は人のものを訳すだけという認識だった。子育てにも追われ、テレビの仕事を減らしたところ、たまたま「大学で教員にならないか」と誘いを受けました。下の子が幼稚園のころです。このあたりで道を変更するのもいいかなと思い、教育の道に進みました。

・通訳者としての経験は教育でも役に立ちました。英語教育法をやっていて、その後コミュニケーション論をやるようになってからは特に役立ちました。立教大学からはその後、新しい英語系の大学院を作りたいと相談され、その時は文化コミュニケーションの視点が大事という話をしました。そこに異文化、言語、通訳、環境という領域で勉強できるようにしました。

・今はNHKの「ニュースで英会話」という番組に出ていますが、英語教育への思いはどんどん募っています。メディアでの英語教育番組はこれまでも出ていましたが、今が集大成だと思っています。英語というのは誰でもやろうと思えばできる言語です。日本人は英語が苦手だと思い込んでいる人が多いですが、自信をもって使えばいいと思います。自分らしい英語が使えればいいわけで、どう使うかが重要なのです。

・今はTOEFLがどうだとか英語のスコアの話ばかりですが、コミュニケーションで使えるかどうかが重要です。企業が欲しい人材のための英語ではないのです。英語は圧迫するのが最も駄目です。学生にはもっと楽しく英語を学んでほしい。

・今後は英語を通じどういう人を育てるかに関心を持っています。英語のスキルだけではなく、どうやって人としての教育ができるかどうかです。英語のスキルだけなら英語教育ではありません。若い人には自分が何かしたいか、よく考えてほしいと思います。何かしたいことが見つかれば、それに向けて努力する。雑でもいいから一つと得意なことを見つけておくことだと思います。

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