エッセイレッスン参加者作品

エッセイグループレッスンの参加者、村山さんの作品です。


「5歳児の限界」

我が家は、父、母、姉、兄、私の五人家族だった。
私は姉、時には兄のお古で育った5歳児だった。

春から、小学校慣らしのため「幼稚園」へ入ることは、我が家の決まりだった。だが、私は保育園へ預けられるという。

ホイク?園、初耳だ。

お国の事情で来年から呼び名が変わるのだろうか。

好奇心の「なんで?」を所構わずの私も、両親の顔色がガンメタルグレイに近づきそうな話題については、所構っておこう..が最前面へ移動する弱気な子だった。

母が働き始めることになった。

父から
「外へ働きに出てほしい」
というお願いがあったようだ。

専業主婦10:共働き5の割合の時代。

『半分の方に!入ろうではないか!』

父の振り上げた拳の一念発起が、私だけ保育園の理由だった。

保育園は嫌だ。お兄ちゃんは楽しそうだったな。

マラソンの沿道を、仮装し声援しながら、選手を追い越すことを繰り返しているような、ハシャいだ兄の幼稚園時代を思い出す。
きょうだいは一緒、という思い込み、性格のビッグファイブを知るのはまだまだ先だった。

保育園拒絶の表現は泣き喚くしかない5歳児だった。

保育園に続く直線道路が見えたとき、町の人が「あぁ..梵鐘...鳴っとるなぁ..」と間違うくらいに響く限界の咆哮で毎日を挑んだ。

しかし両親は動じなかった。
泣きながら自ら身支度をし、自転車に乗り込む5歳児は足下をみられていた。

新緑が濃い緑へと移り、保育園ちょっと楽しい…と思えた頃、無駄な抵抗は永久休戦した。

冬が近づく日、両親から、新品と一目で分かる手袋を渡された。

絵本「てぶくろを買いに」に出てくるような、親指を入れる場所と4本指を入れる場所の2つにわかれた、赤い毛糸の手袋だった。
舞い上がった私は、手袋を側に置き、シマエナガやハリネズミを抱っこするように可愛がり、顔をうずめたり、匂いを嗅いでみたりした。

手袋と一緒に保育園へ行くことも楽しみの一つになっていた。

そんなある日の帰り道、橋の上から、手袋の片方を落としてしまった。
私は驚き異様な声を出した。

母は急ブレーキをかけ、荷台の私から起こったことを聞くと、小さく驚いた。

冬の保育園の帰り道は暗い。

手袋が落ちた先は川だ。明日見ようと言われ帰宅した。

「ながされませんように、かわいいてぶくろが、だれにも、ぬすまれませんように」

と泣いて願いながら眠った。
片方の手袋では防寒の役目は半分になるが、もう片方を手放す気持ちにはなれなかった。

私には一双ではなく、片方ずつが、シマエナガで、ハリネズミだった。

翌朝、橋の上から川を覗きこむと、手袋はあった!

待ってくれていた。

助ける!

歓喜して母を見たが、困惑していた。

そして
「川に、下りることは、出来ない」
と試みることなく言われた。

その時のやりとりの記憶がない。

その日から毎日、川を覗いて、手袋にバイバイと手を振って保育園へ行った。手袋は橋の上からすぐ見える場所にある。

盗まれないのは、母の言う通りと分かったが、

『ひろうおしごとのひとに、おかねを、はらっても、だめ?』

と、聞きたくて仕方が無かった。

だが、この時代の共働きは、「貧しさゆえ」と幼心に勘づいていた。
友達の新品の持ち物を見ながら、お古ばかりで私は5歳まで育ってきたのだ。ランドセルも姉のお古を背負うことになるだろう。
それは新品の1/3の薄さだった。
楽観的に見積もっても、私で三代目以降だ。
両親にお金の話をして、顔色を失わせたくないと思わざるを得なかった。

川を覗くと、あぁ今日もいる。

毛並みがぐっしょりして、ひどくお腹を空かしているようだ。
私は無力で、見ることで許しを乞うているような、後ろめたい気持ちを持ち続けた。

川に落ちている他人の片方の手袋を拾って使う人はいなかった。

どれくらい手袋に手を振っていたのだろう。

幼児と大人の時間感覚は違っても、一ヶ月位は続いていたと思う。
そろそろ小学校入学の時期が近づいていた、保育園とは真逆の方向だった。
 

なぜあんなに片方の手袋に執着していたのだろう。

上のきょうだいのお古で育った私にとって、自分だけの新品への思いがそうさせたのだろうか。だが、新しい手袋をねだることはしなかった。
両親の共働きとお古で、ひどく貧しい我が家と思い込んでいたからだ。
しかし、大人になって、当時から今までの暮らしを思い出すと、私の思い込み以外に「我が家のひどい貧乏」を裏付ける出来事はなかった。

思い込みによって、したくても出来なかったこと、言いたくても言えなかったことがあった5歳児を思い出すと、怒りのような、行き場のないモヤモヤがわいてくる。

父の振り上げた拳を鷲摑みにして
「なんで?ひどい貧乏じゃなかったの?」
と詰め寄ったり、川に下りれないと試みることなく告げただけの母の耳元で「ひっっでーーーーな!」と素数ゼミ並みの大音量で叫びたい、と想像することがある。

だが、大人になった今だから気付けることもある。
お古を嫌がる様子を見せない私を気にとめる余裕はない、両親なりの理由があったのだ。

手袋の出来事が教えてくれたことは悪いことばかりでもない。
「大切にしていても失うものがある」を知ることができた。

一方で、小さな胸を痛める思いに耐えたからこそ、今も覚えている出来事だ。そんな出来事を深く思い出すことで、見えてくる我が家の歴史がある。

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