醜の御楯と出で立つ我は
三月(弥生)になりました。
春の到来とともに、新生活、出会いと別れを想起いたします。
「別れ」「旅立ち」というものの中で、最たるものは「死別」ですね。
突然しんみりしたくてわざわざいうわけではありませんが、
「平静の死の覚悟」といい、「武士道精神」に直結するような、
弓の張り詰めたような緊張感を持って常日頃から過ごすことは、
いつの時代も変わらず重要なことだろうと思います。
そもそも、
「祓い」の究極的な境地は「自我の徹底破壊」であり、
「鎮魂」による「空」の境地は言い換えると「死後の世界」でもあるわけです(要するに生まれる前から存在し、死んだ後に帰っていく場であり創造の源のこと)。
「日に新た、日々に新た」という『大学』にある境地を、
日々のd.Mの実践の中でも確固たるものとすべく、
立ち返っておきたい話と思い立ち、書かせていただくことにいたしました。
「桜井駅の別れ」
本日のトップ画は、言わずと知れた「桜井駅の別れ」を伝える石像です。
「大楠公」こと楠木正成は、「湊川の戦い」に決死の覚悟で赴く直前、
息子である「小楠公」こと楠木正行に「意志」を託すため、
桜井駅にて最後の別れを告げたのでした。
父の遺志を受け継いだ小楠公は、立派にその務めを果たしましたが、
後世に絶えず語り継がれる不変の真理、いわば真善美の生き方の極地として、
いつの時代にあっても顧みるべき「歴史という鑑」の参照点となりました。
本日の和歌
今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ我は 防人
【現代語訳】
今日からはすべてを顧みず、天皇の御楯の末となろうと、出発する。私は。
【解説】
「下野国(しもつけのくに)」(栃木県)を出発した防人の歌。
『萬葉集』巻第二十に収載されている「防人歌(さきもりのうた)」は、
防衛の最前線である九州に赴いた当時の人々の気持ちが謳われたもので、
大東亜戦争時も、軍人が必ず戦地に携えたと伝わるものです。
当時の時代人の心境に匹敵すべきかどうか、
その要が現代を生きる我々すべてに当てはまるものかどうかはわかりません。
さはさりながら、歴史に対する深い反省を絶えず行う姿勢は、
必ずや明るい平和な社会の構築につながるものと信ずるところがあります。
世界の鎮魂平和は、個人の鎮魂から始まります。
とほかみえみため
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