V.E.フランクル『意味への意志』を読んで
ヴィクトール・エミール・フランクル(ドイツ語: Viktor Emil Frankl, 1905年3月26日 - 1997年9月2日)は、オーストリアの精神科医、心理学者、ホロコースト生還者。代表作は『夜と霧』。患者が自ら生きる意味を見出す手助けを施すことにより、精神障害を克服する心理療法「実存分析」(のちにルートヴィヒ・ビンスワンガーによりロゴセラピーと改められる)を提唱した。フロイト・アドラーの影響を受け精神科医になる。強制収容所に送られる。家族を多く失う。その後は精神科医として、独自のロゴセラピーを展開。ウイーンポリテックニック神経科部長、ウイーン大学教授。 p14「人間は幸福を求めるほどに彼は幸福を追い払う。」フランクルによると、人間が実際に欲しているのは「幸福であることの根拠を持つこと」である。人間はいったんその根拠を持てば、おのずから幸福感は生じてくる。これに反して、人間が幸福を直接にめざせば目指すほど、彼は幸福である根拠を見失い、幸福感そのものは崩壊する。幸福とは結果としてついてくるものでなければならず、目指して得ることのできないものという。
以下、この本からの気になった文の抜粋。
・未成熟の時は相手の中に人格を見出すことはできない。
・人生において重要なのは意味を与えることではなく、意味を見出すこと。
・意味を探し求める際に人間を導くのが良心。良心とは意味器官。
・良心は具体的状況において知覚する能力であると定義できる。
・我々は他者の人生に意味を与えることはできません。我々が彼に与えることのできるもの、人生の旅のはなむけとして彼に与えることのできるもの、それはただ一つ、実例、われわれ丸ごとの存在という実例だけです。
人間は次の3つによって意味を見出す。
1)人間は何かを行ったり、創造したりすることの中に意味を見出す。
2)人間は何かを体験したり、誰かを愛したりすることの中に意味を見出す。
3)その人が直面するどうすることもできない絶望的な状況においてもなお意味を見る。重要なことは人間が避けることも変えることもできない運命に出会った時にとる心構えと態度です。この心構えと態度によって人間はその人にしかできないあることを証明することができる。それは苦悩をひとつの業績に転換するということ。
価値論は3つある。創造的価値、体験的価値、態度的価値「ただ単に生き続けることは、最高の価値ではない。人間であるということは、自分自身ではない何かに向かって方向づけられ、秩序づけられているということ。人間の現存在がもはや自分自身を越えて外へと向うことがなくなるならば、そのとたんに生きながらえることは無意味になる、不可能になる。われわれは誰しも遅かれ早かれ必ず死ぬのであるから、むしろ、非常に重要なことは、別れを告げねばならない何ものかが、存在するかどうか、われわれが世界に残していくことのできる何ものかが存在するかどうか、自らの寿命が全うされるその日に意味と自分自身とを充足させる何ものかが存在するかどうかということである。」 人間はいつでも誰かに対して(共同体、自分の良心、自分の神)責任を引き受ける代わりに言い訳をしているのではないでしょうか。 彼は環境世界、内面世界、共同世界といった運命的なものを持ち出すことによってその背後にある自由を隠す。 精神療法は、人間の心身的事実性だけでなく、それ以上の精神的実存にも目を向けること。人間の有機体だけではなく、人間の人格にも着目する精神療法が人格の尊厳を尊重することを期待されている。
フランクルの文を読むと、素人的には、心理学は、フレームワークに患者を当てはめるのか?と思えてくる。フランクルの主張では、患者の個々の捉え難い精神に個々に対応するように言っているように思えた。これは、体系を構築せず、臨床医の能力にかかってくる。また宗教がフランクルの中、背後にあり、大いなる力の采配を受け入れているように思えた。学者というより、臨床の医師と感じられる本だった。