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内橋克人とグループ2001『規制緩和という悪夢』、内橋克人『新版 悪夢のサイクル』を読んで

冒頭の「なぜ、私たちは、安定した社会を失うことになったのでしょうか?~なぜ、私たちは、富める者とそうでない者に分かれてしまったのでしょうか?」この内橋の言葉が重く響く。今から考えると規制緩和はまちがいだった。しかしそれは続き、その悪い成果がよくわかってきた。これらの本はいつから、なぜ日本は冒頭にあるような社会に踏み出したのかを教えてくれる内容だった。「日本における規制緩和が、私たちの社会をどのように変えるつあるか…。富の二極分化、中間層の実質賃金の急速な低下、新規参入企業の失敗、規模の優位性による寡占化の進行、安全性の低下などそれまで日本で語られてこなかった規制緩和の様々な実相が、浮かび上がった」ーこれは1995年と2006年に出版された内容の連載や書籍化されたものであり、2023年の状況は既に1995年に予言されていたと言える。わかっていたのになぜとめられなかったのか、悔やまれるところである。
 「1994年6月21日、円がついにニューヨークで100円をわった。それに呼応するかのように、翌日、アメリカ大使館は規制緩和の推進を日本政府に強く要望する異例の声明を発表したー日本でも欧米なみの、生活者、消費者が重視される社会をつくっていきたいーそう国民に公言して、当時首相だった細川護熙が経済界、官界、労働界、学界、マスコミから選りすぐりの人材を集め、首相の私的諮問機関「経済改革研究会」を組織したのは93年8月のことである。研究会は座長・平岩外四の名をとって平岩研究会とよばれる。三か月後、日本のベストアンドブライテストが、消費者重視の社会をという首相の問いかけの答えとして出したのが、大胆な規制緩和の必要性だった」 
 1994年9月に規制緩和は始まったという。さらに「規制緩和によって、企業は新しいビジネスチャンスが与えられ、雇用も拡大し、消費者には多様な商品・サービスの選択の幅を拡げる…抜本的な見直しは、短期的には経済社会の一部に苦痛を与えるが、中長期的には、自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設のために不可避なものである」という答申が出た。規制緩和を始めたのは自民党ではなかったということがわかった。来年2024年で規制緩和が始まってから30年だ。「失われた30年」は規制緩和がきっかけだったように見える。(以下はPRESIDENT onlineからの引用)飯田祐二・経済産業政策局長「90年代以降、様々な制約を取り払い企業間の競争が活発になれば経済が活性化すると考え、規制緩和などの構造改革を実施してきました。それまでの特定産業の育成を目的とする政策から、規制緩和や減税など市場環境を整えることを目的とする新自由主義的な政策へと転換していったわけです。ところが、そうした政策は結果として期待通りにはいきませんでした。経済成長は停滞し、給料の上がらない国になってしまいました。規制を取り払えば企業は元気になり、うまくいく――。そういうわれわれの考え方、環境づくりが結果につながらなかったのだと思います。(1)」新自由主義の中核的な思想である自己責任という考え方がある。規制緩和という政策を選択した方々の自己責任はどうなったろう。この政策に加担させられた国民の「自己責任」は、社会的弱者に下りてきたように思う。
 内橋のこの本では、新産業と終身雇用についても言及している。「確かに、新産業は生まれた。しかし、そのことの意味は、中流の豊かな暮らしを楽しめる給料が貰えた仕事が失われ、そのかわりに、とにかく生きていけるだけのお金をもらえる仕事が生まれたということなのである。」中流がいなくなり、最低限の給料の職が拡がった。終身雇用ができたのは、日本の会社は同じ系列内、企業内で非効率部門から効率部門に労働力を移していくことができたからで、非効率産業の労働者の転換が上手くやっていけたのは年間経済成長率が5%だったから。これらの上に終身雇用制は成り立っていたとのこと。平岩レポートによると「公的規制の抜本的見直しにあたっては、各分野を等しく検討し、聖域があってはならず、福祉、教育、労働、金融といった分野でも上述の考えをもってあたるべき」だそうだ。『ショック・ドクトリン』で読んだのと同じパターンだが、当時の欧米の新自由主義を背景に、日本新党細川護熙政権という変革を契機に、ネオリベラリズム、ショックな物事があった時に公共分野を民間に解放するという考え方が入ってきたように思う。アメリカにもケネディレポートがあり、違うところはp55にある。「破壊的競争の可能性、寡占化の可能性、不採算路線の消滅による公共性の犠牲などの反対意見を詳細に紹介した上で結論に達している。ー規制緩和によって予想されるデメリットについても詳細に情報公開している。その上で3年かけて、さらに議会などで議論をし、カーターが法案にサインする」流れなのだが、平岩レポートではこうしたものがほとんどないという。また、規制緩和の前提となる自己責任の原則については、「消費者の選択権、自己責任という美名がそのまま、事故の予防とう観点からなされている規制をなし崩しにしている」としている。そして、政策決定過程には、消費者団体、弁護士、学識経験者、一般消費者らが参加して自由意志による討議やコンセンサスが欠かせない。自己責任の前提となる自己決定権保障の制度を欠いたまま、自己責任が押し付けられる。そもそも政府の失敗を修復するには市場の成功という考え方がネオリベラリズムに進んだ。
 『悪夢のサイクル』では、冒頭で1984年と2002年の所得格差が広がったことが報告されている。1984年は最下層と最上層の差が13倍だったのが、2002年のそれは168倍になっている。
 p28「人間はくりかえし現実をみせられると、その現実を所与のもの、変えられないものとして受容していってしまう」が、はたしてそうでしょうか。著者は「現実は変えられる」としている。「1970年代以降にあなたの気がつかないうちにさまざまな政策の変更がなされていき、その結果の現実なのです」と著者が断言している。ここ重要!現実は変えられるのだ。日本は内需拡大、内外格差是正、規制緩和、努力が報われる社会、構造改革などその時々にキャッチフレーズに価値観が左右されている。内橋は1995年に以下のように書いた。「医療の場合であれば、それでも、作用も副作用も一人の患者に限って現れるだろう。一人の患者がプラスとマイナスの効果を得ることができる。しかし、規制緩和の場合問題なのは、プラスの効果が働く場所とマイナスの副作用が現れる場所が違うということである。つまり、権力の決定機構に近い投資家、大手企業グループ、都市生活者、といった集団は当面プラスの作用をうける。しかし、日本の中流層をなしていたサラリーマンを含む勤労者、中小企業者、地方生活者、年金生活者といった集団は激流の中に放り出され、多くの人が辛酸をなめることになるだろう。現在までのところ、日本の規制緩和運動という治療法は、プラスの作用が働くと思われる人々の手によって一方的に決められている」そして、多くの人びとは規制緩和というルールの変更に無自覚だった。こんな中、税制のフラット化が行われる。法人税の引き下げ、低所得者層に負担の重い間接税(消費税)の導入、累進課税の緩和 というルール変更が一気に進んだとのこと。
 アメリカの世界恐慌以降、市場の失敗が反省され、厳しい法律ができる。また、ケインズが唱えたような市場に政府が積極的に介入して、公共政策が採用されるようになる。ケインズに学んだガルブレイズはビルトインスタビライザー、安定化装置を取り込んだと言っている。しかし、新自由主義の推進者フリードマンは、インフレを退治するには、貨幣の供給量を減らす。貨幣の供給量によってのみ経済はコントロールできる、公共事業や福祉事業による需要創出効果は無駄(マネタリズム)であるとした。(後日続きを書きます)



注(1)なぜ「失われた30年」を止められなかったのか…経産省が「結果を出せなかった」と反省するバブル崩壊後の誤算 "新機軸"で日本復活の「最大で最後のチャンス」を生かす | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

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