努力の意識


「幸せな人はそれなりの努力はしている、逆を言えば努力をしていない人は幸せになれない」極論だと思う。

幸せそうな人は何かしらの努力と行動をしている。

でも最近思う、「努力」の感じ方が人によって違うんだと。

本人がソレを「努力」と認識していないという事がある。

幸せになる為もしくは、幸せの質をさらに上げるために無意識に動いている、当の本人は「努力」と思っていない。

例えるなら「トーストにジャムを塗ったら、更に美味しくなる」と冷蔵庫にジャムを取りに行ったり、買いに行ったりする当たり前のような行動だ!ソコには努力なんて意識下に置いていない、結果「ジャムパン美味しー❣️」という幸せにたどり着いている。

それを僕はジャムを手に入れる行程を「努力!努力!」と念仏の用に頭にこびりつかせながら、行動している…いやいや窮屈でしょう?

どこかのマンガで「努力する者が楽しむ者に勝てる訳が無い」って描いてたけど、その通りだと感じる様になった。

努力そのものを否定するつもりは無い、ただ、目を見開いて、肩を強張らせて、鼻息荒い姿で「コレが出来なければ駄目だ」の様な自分自身を追い込み過ぎる努力は、カナリ大変だし疲れると感じた。

努力を楽しむ位が丁度いいのかな?😄

最初の言葉を言い変えるなら「幸せな人はソッチに向かって歩いてる、逆を言えば幸せに向かって歩いてない人は幸せには辿り着けない」となるのかな?

硬い硬い!柔らかく柔らかく😄

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