懸命に人に笑われた漢たちの生きざま
過激な世界のショック・ボーイ
エスパーを職業にした男
過激すぎた男
ほんの1年と数ヶ月ほど前にとある後輩芸人について語った先輩芸人の動画を見たました。
早すぎる最期を迎えたリアクション芸人への思いを語ったその男の口調はしっかりしていた事をよく覚えています。
「お前の竜が、空に飛んで行きますように…」と最期まで自分の芸で後輩への献杯を捧げた虎もまた、空に飛び立ちました。
パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」で、初代「ダチョウ倶楽部」リーダーの南部虎弾(なんぶ・とらた 本名・佐藤道彦)さんが1月20日の午後11時55分、脳卒中のため都内の病院で死去したことがニュースで伝えられました。72歳だったそうです。
約10歳年下のダチョウ倶楽部時代の後輩の上島竜兵さんが亡くなったのは、2022年の5月のことで、上島さんが61歳の時でした。
パワフルで過激な芸風で知られた南部さんですが、ダチョウ倶楽部の肥後さんは「四人でデビューした戦友」「本当にパワフルでめちゃくちゃで天才で鬼才な芸人」と語り、寺門さんは「本当に残念です、デビュー当時のパフォーマンス芸がきのうの事の様なそれほどインパクトのある方でした」と故人を偲びました。
死の4日前の出来事
南部さんは、自身が亡くなる4日前に、元お笑い芸人のエスパー伊東さんが16日に63歳で死去したことについて、連絡などの行き違いがあったとして、伊東さんの所属事務所社長でモノマネ芸人のビトたけしさんに抗議をしたばかりでした。
伊東さんが認知症を発症して、老人ホームに入っていたということでしたが、南部さんは「エスパーに会わせてもらえず。詳しい死因、最後の状況もわかりません!」と胸の内を語りました。
伊東さんとの面会を求めていた南部さんは、伊東さんの所属事務所社長のビトたけしさんから「コロナが終わり次第会える手筈にしますね」と言われたというが、それ以降連絡がなかったという事でした。
伊東さんについては、自身のX(旧ツイッター)に追悼のコメントを発表し、そこには「ああ、悔しくてしょうがない!」「亡くなってから連絡してきて、そりゃないだろう!ひどい話だ!エスパーがかわいそう 安らかにおやすみください!」などと綴られていました。
そしてその後、南部さんが亡くなった20日は、ダチョウ倶楽部のメンバーだった上島竜兵さんの誕生日でもあったそうです。
優しすぎて、過激すぎる虎は最期までやさしすぎたのかもしれません。
エスパーを職業にした男
90年代に「投稿!特ホウ王国2」や「めちゃ×2イケてるッ!」などに出演し、活躍していたエスパー伊東(本名・伊東 万寿男)さんが63歳で、長期にわたる施設でのリハビリ療養のすえに、1月16日に、てんかん重積(じゅうせき)で、亡くなりました。
伊東さんは、宴会芸、超能力、格闘技などをミックスした、「超能力」ならぬ「高能力」という独自のジャンルを確立して1988年にデビューし、体を張った芸で昭和の芸能界をかけぬました。
芸能活動については、晩年、股関節を痛めて休業していましたが、代表的な芸の「ボストンバッグ入り」、失敗を前提として笑いを引き起こした「激辛唐辛子1皿1分ニコニコ食い」、「テニスラケット軟体くぐり」などを覚えている方も少なくないのではないでしょうか。
電源ネットワークの「ピラニアを飲み込んで吐き出す」人間ポンプ芸や「蛍光灯のケツ割り」とはツイを成す芸風に思われますが、笑いの印象が異なるのが興味深いです。
はい〜
伊東さんについて思い出したときに、高能力と言われる普通の人より少しだけ高い能力を発揮する(または発揮できない)あの独特の芸やネタはどこから生まれたのかという疑問が沸いてきます。
もっと言うと、芸を披露した後に「はい〜」と言って一つの技を〆て一旦区切りをつける、あの形はいかにして生まれたのでしょうか。
そんな疑問が、ふと沸いてきました。
古くは演芸の海老一染之助・染太郎さんなどが傘回しなどの曲芸を決めた後に発する「はい〜」というスタイルが由来としては近いのではないかという気がします。
本来の用途は、生の舞台上での一発勝負のパフォーマンスののち、その芸が成功した事を観客にアピールする手段としての呼びかけという意味合いが強いはずです。その合いの手は、いわば成功した事をアピールする合図なのですが、伊東さんの能力の高さは、成功した事の記号としての「はい〜」を失敗しても使ったというところでは無いでしょうか。
ある意味マギー一門の芸にもあるような観客にネタをばらして自分を下げることで、客を笑わせるという芸風だったのではないかと思います。
人は自分より下の者を笑うという、お笑いの上でのパワハラに耐えつづけ、逆手にとり、笑いとのプロレスに常に真剣勝負のストロングスタイルで臨む姿は今でも忘れられません。
その姿は、昭和のお笑い戦士でありよき仲間でもある電源ネットワークにも、ダチョウ倶楽部にも感じる感覚です。
最近のお笑い界、特にテレビにはすべり芸が減ってきているように思います。つまらなくて、バカバカしくて、くだらないものを勇気を持って笑いの力に変えてきたレジェンドたちは、もうテレビの中にはいなく、唯一、YouTubeに活動の場所を移して、江頭2:50さんが昭和の笑いにこだわり続けているのかもしれません。
テレビ以外の舞台では、伊東さんの所属事務所の社長でもあるビトたけしさんなどの昭和の香りが漂うベテランの皆さんが、その伝統芸を笑いとともに振りまいてくれているのかもしれません。
ビトたけし伝説
ビトたけしさんは、ビートきよしさんの弟子で、新宿にあるシューパブ「そっくり館キサラ」に時折出演しているそうです。
若手時代のオードリーが「キサラ」に出演していた時期、若林さんが芸人を辞めようと考えている事を楽屋で他の芸人と話しているのを見たビトは、帰りがけの若林に向かってビートたけしの物真似で「あんちゃん、死んでもやめんじゃねーぞ」と励まし、それをきっかけに若林は芸人を辞める事を踏みとどまったと言われています。
それ以後、若林にとってビトは尊敬する先輩芸人の1人であったが、若林曰く、本物のビートたけしとテレビで共演して以降は「その存在自体が薄くなった」と言われています。
オレには芸がある
最後に、電源ネットワークの業務提携先の株式会社BBEグループ 代表取締役社長 大本ヨンジャ氏のXに次のような書き込みがありました。
生前当時の伊東さんとの思い出が綴られたそのツイートを引用します。
ちなみに、このツイートは南部さん本人がリポストしていたもので、南部さんのそのアカウントは3日前で、投稿が止まっていました。
昭和から平成にかけて、その身体一つを武器に時代を駆け抜けた巨星が二つ、また空に飛び立ちました。
南部虎弾さん、エスパー伊東さん、お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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