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みこ法師

後年にいたっては、政争に敗れた王家の人間が、厄介払いとして仏門に入る、といったことが多々見受けられる。親王の場合は、周囲の者から疎んじられたということもあるが、みずから進んで出家を選んだのであった。うつし世に居場所がないことを知っていたからである。しかし、もうひとつ理由があった。

このころ日本と唐を行き来していた遣唐使船には多くの留学僧が乗り込んでおり、かの地で長い年月を過ごしたのち、日本に戻ってきた僧も大勢いた。彼らは外国についての深い知識を有していた。親王は、帰還した僧をつかまえては、いつもこのように尋ねるのだった。

「天竺に住んでいた人に会いはしませんでしたか。長い鼻をもった巨大な獣や、脚のない極楽鳥、海の上を走る蜥蜴について知っている人はいませんでしたか」

かねてより、皇族から僧となった親王は「みこ法師」などとあだ名され、奇異の目で見られていたのだが、天竺の地に飽くなき執着をみせる姿は、人々にとってますます不思議に感じられ、やがて大層な変わり者として巷間に知られるようになった。

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