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フィジーの海辺の感じの良いコテージ

科学の進歩のおかげで皆の背が高くなり、牛乳を苦手な小学生が3割も減ったそうだ。

だからといって俺は認めない、科学なんていうものは近いうちにメッキが剥がれてしまえ、と、環境に配慮したハイブリッドな脳が、フィジーの海辺の感じの良いコテージで叫んでいる。

フィジーに吹く風はドドメ色の記憶を喚起する、フィジーにかんしての言及は今回のショートショートとはいっさい関係がない。

おまけに言えば、ハイブリッドな脳の血がどうかしたとか、科学とかもいっさい関係ない(もっとも、多くの小学生に牛乳をおいしく飲んでほしいとは心から思うが…)。

俺がこの短い文章ですべての都道府県に暮らす人々に伝えたいのは、そんな陳腐な話でない、むしろ有益な話だ。

犬が蕪をおいしく食べていたのをみたことがある、あれは一体なんだったのだろうと、だんだん遠ざかっていく夏の記憶を噛み締めながら思えば、思えばフィジーの話とかは今回のショートショートでおれが語りたかったことではない、犬とか蕪とかの話もしたくない、蕪って、草に「無」って書くの、あんまりじゃないかと思って、辞書を引いてみたら、「無」という字には本来、豊穣の意があったらしいのだ。

いまではぜんぜん逆の意味でしか流通していないのに。
でも意外で面白いね。
やっぱたまには語源を調べてみるのも面白いね。

進化した人類は月の海に立ち尽くしたときにふと、「海」という字の語源をしらべてみようと思ったりするのだろうか?そろそろ今回のショートショートの本題に入ったほうがいいだろうか?蕪の話とか実はどうでもいいんじゃないか?俺はしゃべりすぎたのか?そろそろ本題にはいろうか? 

 俊子の家は貧乏で、公園の水道で洗濯物をするほど。

昭雄の家は金持ちで、千円札を燃やして焼き芋を焼いていた。

だがその後、俊子はその貧乏体験を書いた小説で一山儲け、昭雄の家は火事になって一夜にして全財産を失った。

このように二人の人生はそっくり入れ替わってしまったのだ。

人生は不思議だ。

シンプルに語ること。それが物語にとってもっとも幸せなことだと思う。

こんがらがった伏線を憎み、再びシンプルな物語を紡がねばならない時代と思っている、俺はもう若くない。戌年だし、レイバンの眼鏡をかけているし…

だから、シンプルにいく、戌年だし、レイバンの眼鏡をかけているから。

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