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「選挙に行こう」の傍らで – weekly ivote #19

2月下旬の連休初日、真冬のような寒さが鋭利な東京の街では鈍色の空が雨を降らしている。雨模様には気分も少し憂鬱で文章を綴る手も重い。

あまり書くべきことも思い当たらないが、ivoteの活動理念と私(tomohiro)の心境なんかを少し。

ivoteの活動理念

現在の活動理念は、私が代表を務めた2022年に改めたものだ。

ivoteが受け継いできた核である「若者と政治のキョリを近づける」という言葉や従来の理念の考え方を受け継ぎつつ、当時在籍したメンバーで再解釈したり一人ひとりの目指すところを改めて言語化したりと、侃々諤々して書き上げた。細かいところで言えば、「わたし」なのか「あなた」なのかはたまた「わたしたち」なのか、とか、どうすれば自分たちの思いを過不足なく表すことができるだろうかと結構こだわっている。

ところで、この理念の文章の中に「選挙」や「投票」といった言葉は一度も登場しない。
ことさら意図して除いたわけでもないが、必然的にそうなったようにも思われる。いまのivoteの活動の根幹は、きっと「自分の社会について考え、参画し行動する」という基礎の上にある。

「選挙に行こう」

私は、「選挙に行こう」という言い方はなるべく避けるように意識している。

もっとも、私をivoteに引き入れたそもそもの原動力は、選挙にはいくべきなのにどうしてこうも投票率が低いのだろうという疑問であったことは間違いない。しかし、大学に入って東京に来て視野が広がるにつれ、その「選挙に行くべき」という命題は自分の中でしっくり収まらなくなってきた。

どうにもこの命題、とりわけ世間からのあるいは“オトナ”からの要請として使われるときのそれには、社会のためとか民主主義社会における責任とかいった要素が多分に含まれるきらいがある。裏を返せば、自分のために政治に参加するという視点がじゅうぶんに含まれていない。少なくともそのようには伝わらないのではないか。

政治的な力は誰にとって希望たりえるか。それは、何より現状の社会で弱い立場に追いやられている人であるはずだ。民主主義社会における政治は、“変えることのできる”しくみなのだから。
その政治的行動を社会的に“正しい”行動として喧伝されるのは、おさまりが悪い。

だからこそ社会について政治について、考えるとき中心にいるのは「私」でなくてはならない。私がこういう社会で暮らしたいから、私はこう生きていたいから。それが政治的な駆動力となり、ひいては投票をはじめとするアクションとして表現されていくのだ。

政治は“正しい”答えを言わなきゃならないテストではない。コミュニティの構成員ひとりひとりの希望を出し合っておとしどころを見つける場なのだ、と私は思っている。

「私」のために

選挙を一言も謳わないivoteの理念のなかに「社会」という言葉が繰り返しでてくる。これは必ずしも日本社会とか国際社会とか言った大きな枠を指していない。何かしらの形で自分の属しているコミュニティのことをひらたく社会とよんでいる(少なくとも私個人はそのつもり)。

ivoteの出前授業で生徒さんを前に話すとき、私は、あなたも声を上げていいんだと、不満を言っていいんだということを丁寧に伝えるように心がけている。きっと私自身に対しても言い聞かせているのだろう。

政治参加は責任だといえばそうなのかもしれない。
でも責任を果たすための政治参加で自分の暮らしていく未来を描けるのだろうか。

あくまでも「私」が中心にいて、大切な人・大切なものがあれば「私」にとっての理想の未来にはその人たちの姿があるのだろうし、その限りで社会のスケールを時間的にも空間的にも広げていけばいい。

「私」のために行動する。その重要な選択肢として政治があるんだということを、私自身忘れないようにしなければ。


2024年2月23日
tomohiro

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