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Coolには生きれない話

東京理科大学には4つのキャンパスがある。東京の神楽坂キャンパスと葛飾キャンパス、千葉の野田キャンパス、そして遥か北の大地にある北海道・長万部キャンパスだ。

その北海道・長万部キャンパスで私が約一年間暮らした時に感じた寮生活の辛さについて考えたい。

そもそもこのキャンパスは、ぴちぴちの大学一年生がいきなり四月に北海道のド田舎に飛ばされて寮生活を送る場所である。
寮生活と聞くと、学生自治で自由な生活が送れる京大の吉田寮や北大の恵迪寮を思い浮かべる人も多いかもしれないが、ここはそんなに自由に溢れた場所ではない。

二十歳を超えていても酒は飲めないし、風呂の時間は決まっているし、見回りも厳しい。ルールは破ってもバレないし、そんなに咎められることはないため、私はそんなに厳しく感じなかったが、寮友から不満が聞こえなかったといえば嘘になる。

そんな場所で四月から夏休みと冬休みを除いて一月末まで生活をするのだが、人と一緒にいることが苦手な私は、寮生活が終わった今日、疲労と満足とやるせなさに苛まれてラップトップと睨めっこしている。

私が人付き合いが苦手な理由は、なぜだろうか?
人と話すことは疲れるが嫌いではないし、話せる人が増えていくことも面白く感じることができる。
それでも、一人で何かを考えたり、どこかに行ったり、何かをしたりする方が、楽しく気楽だと感じる。
また、一人ならば責任も自分で負って、迷惑も自分か名前も顔も知らない他人にしかかからないことが心が痛まずに済むのだ。

それでも尚、寮生活は人と関わらずにはいられない。
朝起きたら誰かはいるし、寝ようと思っても隣の人が爆音で怪しげな内容のYoutube動画を見ていても名前と顔を知っている他人から逃れて一人だけの世界を作ることができない。
作ることはできても、名前と顔を知っている他人へ少なからず影響を与えることになる。
部屋から出てこなければ、そいつは飯に行くのか行かないのかわからないから声をかけなければならない。
心の調子が悪そうであれば、ほっといたらいいのか声をかけたら良いのか考えなければならない。
そうやって他人を心配することが必要になる。
そうやってまるで家族のような仲間ができる。

それがここの良さだと私は思った。

だが、やはり人というものは十人十色という言葉では足りないほどに、いろいろな考えや習慣を持つ人がいて、合う合わないは当然起こりうる。

かくいう私にも合わない人が居た。
初めましてから始まるご挨拶の時点でなんか無理そうと思った予感は当たるもの。一年くらい我慢しようと思っていたが、九月にはその水が溢れてしまった。
声も聞きたくない、顔も見たくない、その人間の生活音ですら私を苛立たせる。

一時期は本当に精神系のお医者サマに見てもらった方がいいんじゃないかと思ったけど、自分で思っているうちは大丈夫だと思ったのと、そもそも長万部は頭のイっちゃった人間を見れる医者がいるほど都会じゃない。

もちろん、その人間だけが悪いわけでもなく、さらには私がその人間に対して苛立たせ、迷惑をかけたことは数えきれないほどにあるだろう。

それを人間関係を切るという形で精算してしまったことがあまりにも稚拙で、汚く、愚かであることがすごく虚しく、やるせない。

そのような学寮生活を過ごした中でも、最初に無理だと思った人とある程度うまく付き合うことができた実例を作ることもできた。
最初から距離感の近い人は人見知りの自分にとって苦手だが、少し我慢して一歩引いてみると、その人の良さが見えてくることがわかった。
距離感が近い故に為せること、距離感が近い故に苦労してそうなこと、距離感が近い故にどんなマインドで過ごしているかを私に考えさせてくれたこと。

他人を尊重するということは、自分を殺すことではない。
ゼロと百しかないと、相手が立てば、こちらが立たずになってしまう。
相手と自分が持っている、絶対に譲れない最終防衛ラインを探ること、そのラインまでを許すことが人と関わるということだと思う。

まさにそこに「私が人付き合いが苦手な理由」があるのではないかと思い始めた。
その最終防衛ラインまでの陣地を相手に踏まれ、自分も踏まなければならないその痛みを耐えなければならない。
その痛みの修復のために人と関わることでできる互いの優しさがあり、離れるときにまた痛みを感じるのだと思う。

今年度、北海道・長万部キャンパスには132名の学生が居た。全員とは行かないものの、多くの人と関わることができた。
ということは、多くの人に傷つけられ、多くの人を傷つけたのだ。

この文章を読んでいる中に寮友が一人もいないかもしれない。それでも、私は、あなたを傷つけさせてくれてありがとう、私を傷つけてくれてありがとう、と笑顔で言いたい。

平成の伝説のアイドル「欅坂46」は人との関わりの中で傷つく若者を描いた曲を多く歌い、その欅坂46が改名した後の「櫻坂46」はCoolという曲で次のように歌った。

優しさや愛は、時に見えないナイフになり、知らず知らずに傷つけている。
そんなつもりはなかったんだ
そう人との距離感が思ったより難しい

『Cool』櫻坂46 5thSG 桜月 共通C/Wより

ぜひこの曲を聴いてほしい。
殻に閉じこもることは楽かもしれないけど、外の世界は多分その楽さをギリギリ埋めてくれるくらいには楽しませてくれるよ。
と一年前の自分や新生活を控える中で新しい人間関係を不安に思う人に伝えたい。

Coolじゃなくても、傷ついても、君は君らしく生きていく自由があるんだ。

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