僕が英語を勉強する理由①

なぜ英語を勉強しているの?
会社の上司によく言われました。

僕はFP会社で資産運用について学んでいました。
業務に英語を使用することは皆無です。
それでもマーケットの学習と同じくらい英語学習にも時間を割いてきました。

マーケットの観点から考えると英語を勉強するのは当然のことです。
マーケットにいる連中は他人がぼんやりしている間にこっそりと抜け駆けします。

このぼんやりしている他人は何事にも当てはまります。
みんなが英会話を学び始めたら、
ちょうど大学卒という学歴の価値が下落したように
英語が扱えるということの価値も下落します。
だから英語を扱える人ほど、日本人はずっと英語嫌い、英語アレルギーで居てほしいと思っているはずです。


日本の資産運用力、金融リテラシーを上げるような試みとしてか来年からNISA(投資の優遇制度)が大幅に制度改革されますが、
同じように日本人全体の英語力の底上げを図るような国の政策や煽りはやめて欲しいというところが本音でしょう。


そんな制度や政策が決まれば周りを出し抜きコソコソ勉強して英語に全振りしていた人。
ただ英語が喋れるという理由だけで大手企業で高給取りな日本人社員たちはもっと優秀な人材に交換されてしまいます。


でもなぜ日本人は英語が下手という伝統は変わらないのでしょうか?
それはみんなが英語ができないのは日本の英語教育のせいだ。という発想をするからです。
でもそれは違います、英語ができないのは学習量の問題です。
やる気があれば上達はします。

ただ日本人は特にネイティブな英語、流暢に流れるペラペラ英語にこだわります。
何も外人と英語で互角に渡り合える英語力を誰もがつけられるとは限りません。
始める前からそんな高い基準で物事を考えるから、
憂鬱な気分になり途中で諦めるのです。


そうではなくて大学や会社で隣に座っている人より、ほんの少し英会話が出来るようになり、
それを就職活動の際のアピールに使うとか、仕事で出世する時の材料に使うとか、嫌いな先輩を見返すために英会話が出来るという優位性を持ちたいとか、
不純な動機付けこそが正しい心の持ち方なのだと思います。


日本人のアイデンティティを捨ててまで、
ネイティブな英語を取得する必要は無いと思っています。
なぜならネイティブのように話せる日本人は
自分がしてきた苦労を正当化するために英語が話せない人たちより自分の方が高く格付けされるべきだと思うことを止めることができないからです。

おそらくそのような人は二言目には、
だから日本はダメなんだ。と口にするでしょう。

そうならずに済むのは周りも全員ネイティブな英語が話せる環境だけです。
ただそれでは英語を勉強してもぼんやりしている他人を出し抜けません。
日本人だからこそ英語を勉強する価値があるのです。

最後に皮肉の効いたジョークを1つ紹介します。
A「まずい!腹をすかせたチーターだ!逃げろー!」

B「バカだな、そんなに一生懸命逃げてもチーターより速く走れるわけないだろ。俺たちはもう終わりだ。」

A「何言ってんだ?チーターより速く走る必要はない。お前より速く走ればいいんだよ。なぜならチーターは1番弱い相手を餌食にするから。」

チーターと互角になる必要はありません、目の前の人より上達できればそれでいいのです。

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