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#映像化することに対して

映像を知ると、原作は読み易い
原作を知っていると、映像を訝しんでしまう

以前の記事でも触れましたが、漫画や小説が、アニメや映画として映像化されるにあたって、時間やお金の制限がある以上、結果的にファンの期待とのズレが生まれるのは仕方のないことです。ただ、その経緯に目を背けずにはいられないのは、ファンとしての性だと思います。


私はハリーポッターの映画シリーズが好きなのですが、映画のみを追いかけています。私以上に作品が好きな友人に、読書家で、あの鈍器のような分厚い書籍を揃え、「原作派」を貫く男が居ます。その宣言をした彼の感情は、当時は分かりませんでしたが、今やっと読書家になった私、その気持ちが分かる気がします。役柄の印象の違いや、あの分厚い物語が2時間に収められてしまうことが怖いのだと思います。

最近読んだ長浦京さんの「プリンシパル」の内容が衝撃的でした。大満足でした。ただ、読者として満足できる映像は絶対に制作できないと思いました。映像化させる気はないのかなと感じてしまうほどです。それでいて、清々しい気持ちにさせられ、私の短い人生で、一番心臓に刺さる作品です。ごめんなさい、読んで知って欲しいので、内容を全く伝えたくないです。笑


作品が好きであれば、派生作品を知っておきたい、見てみたいという衝動が、少なからずあるものです。にも拘らず、「原作派」とならざるを得ない理由は、「自分のなかで形づくられた、原作の世界観を大事にしたい」という希望と、結果的な映像が自分にとって良いものでも悪いものだとしても「原作と映像化の差分」を恐れているからだと思います。

だからこそ、映像化を受け入れるには、ある意味で割り切ることが必要であるし、あまり表現するべきでないですが、「原作とは別の作品であるとして、これはこれで楽しもうとする気概」が必要な気さえします。

有隣堂のyoutubeにて、中山七里先生がこう仰られていました(というか海堂尊さんが仰られたと説明されています)。「(自分の作品が生んだ)自分にとって孫のようなもので、とやかく言うものではない」と。ああ、原作者の気概が決まっているなら、もう何も読者目線で言えないかもと思いました。すごいとしか言えないです。


「作品との出会い」は運命的です。その出会い方や、自分の好き度合いで作品との向き合い方の方針をコントロールしないと、ひたすらに「映像化反対者」なってしまい、悲しい気持ちになってばかりになりそうです。

とは言え、映像化に携わる方に対して「よくやってくれた」と感謝を感じるばかりです。特にアニメは、ハイキュー!!、ヒロアカ、進撃の巨人、鬼滅の刃・・・生きている間に見られているだけで、本当によかったと思います。


何が言いたいかと言うと、人それぞれですよね。