健康寿命を伸ばしたい。永遠のテーマ。定年を迎えた旦那様の昼食問題
「主人が定年をむかえてから動かなくなった。」
そう感じている世の奥様、本当に多いのではないですか?
精力的に働いていた旦那様が定年になり自宅にいる。最初は嬉しく思い、あれもしたいこれもしたいと思いをめぐらしていたが、いざ定年になると自宅にこもりテレビを見ている。働いていた時は精力的たった旦那様も、だんだんと喜怒哀楽がなくなり無気力に見える、それでいて3食はキッチリ食べる。
「3食毎日用意するのが面倒くさい。朝食べたら、もうお昼。お昼終わったらもう夕食。」
「主人の、お昼分食費がかかる、物価高なので家計がピンチです。」
「ご主人が食事は簡単で良いよというが。この一言がイライラさせる。」
ご主人様にとっては耳の痛い言葉だと思います。しかしこれは、実際定年をむかえた旦那様を持つ奥様のリアルな声で、私もこの類いの話しは山のように聞いてきました。
その一方で旦那様も今まで頑張ってきたんだから少し位楽をしても良いではないか?との思いも当然あるでしょう。
ご主人様にはご主人様の、奥様には奥様の言い分があり、どちらも納得するものではあります。
その一方で感じるのは、定年が少し早すぎるのではないか?という疑問です。
確かに一昔二昔前は人生60.70年が健康寿命の平均という感じでした、しかし今は人生100年、平均寿命も80代しかも後半という時代が来ます。
(そんなのわからないじゃないか!)
と思う方も当然いるでしょう。しかし冷静に考えて今の時代、本当に便利に快適になりました。
冷暖房がバッチリきいて、食事も健康志向のバランスの良いものになりました。医療も進歩し、生活様式が昔と全く違います。
人間が死なないのではなく死ねない世の中になったと言ったら少し言い過ぎかもしれませんが、普通に生活していたら生きてしまうのです。
そう考えると年金やら何やらが今の世の中に全くあっていない制度と言わざるえないでしよ。
本来グランドデッサンを政治は示すべきですが、チマチマチマチマ情けない位、粒の小さい議論に終始している現状に危機意識の無さを感じると共に近視的な行政に呆れ果てる次第です。
とここまで書いて又話しが脱線する悪い癖が出てしまったのですが。
話しを戻すと、何故あれだけ精力的だった旦那様が定年になると自宅にこもるのか、それは旦那様に目標がなくなるからです。
もっと言うと何をして良いのか解らないのです。
見方によっては旦那様は被害者と言えるでしよう。では誰が加害者か?少し飛躍し過ぎかもしれないが独断でいわしてもらうと、組織で戦ってきた日本の常識が加害者の正体と言ったら主語が大きすぎるだろうか?
しかし私には組織至上主義の答えが定年をむかえた旦那様であり、昼食問題と深くリンクしていると思っています。
子供の時は親に従い、学校に行くと先生や先輩に従い、会社に入ると上司に従い、同じ部署で同じ仕事をしてきた。自ら率先して動いた経験に乏しい、そして定年をむかえた現在、誰も指示をする人間がいない。だから動かないし動けない。
こんな事を書くと物凄い、ご批判を受けそうだが、定年をむかえた男性の話しを聞いていると、本当に誠実で良い人が多い一方、指示待ちな方が多い印象です。良く言えば常識人、悪く言えば自分の考えがない人が多い様に感じます。
ゆえに自己肯定感の低い、自らの能力を必要以上に低くみてしまうのです。
良く言えば奥ゆかしく慎ましい。悪く言えば何も考えず人の後をついていく体質が染み付いているのです。そして新たな事を踏み出さない原因を年齢のせいにしているのだと思います。
しかし本当に年齢のせいでしょうか、人と違うことをするな、勝手に動くなと組織重視の体質に染まりきった賜物ではないですか?。それが自らを縛り行動を起こすことを躊躇させているとしたら、私は旦那様は被害者であると思わざるえないのです。
私は年齢なんて関係ないと思います。人生100年時代だと思えば、60歳の方後40年人生ありますよ、70歳の方後30年人生ありますよ。
90歳の方人生後10年ありますよ。
そう考えたら人生前向きに楽しくなりませんか?
(そんな事言ったって何して良いか解らない)
(年だし、体がいうこときかない)
そう思われた方多いと思います。
次回から定年をむかえ実際、ほんの少しの生活様式を変えただけで人生楽しくなった方のお話をしてみたいと思います。
又こんな事で生活が楽しくなった、人生豊かになったと言う方、コメントしていただければと思います。自慢でも良いですよ。
健康寿命を伸ばしたい。
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