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健康寿命を伸ばしたい。日本は人を殺した政治家が英雄気取りでニュースに出る国ではない、日本を大きくしたのは名もなき職業人である。家具職人との出会い。

慌ただしさの増した師走の台東区での事である。
年末とはいえ暖冬のためか過ごしやすい昼下がり
公園のベンチで穏やかに座っていらっしゃるガッチリとした方が目に留まった。私は声をかけ、ガッチリとした方は少しだけならと、お話をしてくださった。
「少し前まで家具職人をしてましてね、もう引退しましたが、人を何人か使っていたんです。」
彼は少し晴れがましそうに私に言った。
見れば彼の手は太くシッカリとした掌をしていた。掌は嘘をつかない、職人としての培ってきた年数を、汗と努力に裏打ちされた技術の高さを、この掌が雄弁に物語っている。
「ただ修行は大変でね、師匠は口数の少い人で、手取り足取り教えるなんてなかった。今ではパワハラでしょう。とにかく私の事なんか眼中にない雰囲気でしたから。たまに話しをしてくれると嬉しくてね、呼ばれたらすっ飛んで行くんですが、だいたい私がヘマしたときで、よく殴られました。殴られるとき以外は話なんてしてくれませんよ。」
「大変でしたね。修行は長かったんですか?」
「3年位下働きです、ただ4年目の春ごろですか、タンスの小さいのを試しに作れ、と師匠が言うんです。嬉しくてね、兄弟子の仕事の合間に少しずつ少しずつ自分のタンスを作っていたんです。」
そんなある日、一生忘れられない事件が起こる。
「タンスの木材は重くて毎日室内にしまうのは大変なんです、その日は横着をして外に出しっぱなしにしていたんです。皆で夕食を食べのんびりしていると、いきなり外で雨音がするではないですか、私は真っ青になりましたよ、木材は雨に弱いですからね。どうしょう!そう思ったときです。師匠が雨の音を聞くと、直ぐに外に出て私のタンスの木材を室内に運ぼうとしてくれたんです。それを見て私服に着替えていた兄弟子達も立ち上がり私のタンスの木材をかたしてくれたんです。」
彼は話しているうちに、みるみる目頭があっくなった。
「ボウズの作った作品だから丁寧に早く片せ。」
師匠のこの言葉は一生忘れられないという。
師匠は見てくれていたんだ、作品と言ってくれた嬉しさ、横着をして私服に着替えた師匠や兄弟子に雨の中手伝ってもらう申し訳無さ。様々な感情が入り混じったという。
師匠達に手伝ってもらい木材は無事室内に運び込まれ、木材の痛みは最小限で済んだ。
「木材はシッカリ管理しろよ、とにかく皆濡れてしまったから風呂に入り直せ。」
師匠のその時のはにかんだ様な笑顔は忘れられない。その後風呂に入り直し、兄弟子の背中を流して回ったという。
風呂からあがるとビールが何本か置かれ、師匠が皆に声をかけた。
「皆お疲れさん、ボウズのせいで残業になっちゃったな。残業代は払えんが、ビールが残業代な」
といって師匠自らビールの栓を抜き、一人一人にビールをついで回った。
「師匠が私のところに来たとき、少し怖い顔して言うんです、迷惑かけるなよってね。そしてビールを私のコップについだ後小さい声で言うんですよ。初めてにしてはマシな方だ、頑張れよ、と。」
私は持っているコップが自分でも信じられないほど震えているのがわかった。それを見て兄弟子達はニヤニヤとしていた。
その時に飲んだビールの味は忘れられないという。ガッチリとした方は、その日は嬉しくて眠れなかったと私に嬉しそうに言った。
それから数年が立ち師匠が、そして年を重ねるごとに兄弟子も順番にいなくなっていったという。
その後、何年かして独立し、初めはこじんまりとした家具職人をしていたのだが、長年の修行に裏付けられた技術が認められ、次第に事業は拡大し、何人も人を使うまでになった。
「師匠のマネごとのように従業員に接したいのですが。今の御時世パワハラと言われると困るので、師匠のようにできません。もう私も年ですから、最初に入った連中に事業は引き継ぎました。今は孫を相手に木材で積み木を作ったりして遊んでいます。孫はなかなか筋は悪くないんですが、飽きっぽくてねえ、困ったもんです。」
孫の話をする時の彼はニヤニヤと嬉しくてたまらないといった感じだった。
「職人がいなくなっては大変ですよねえ?」
私が彼に聞くと彼は、ハッキリとした口調で私を睨みつける様に言った。
「戦後の日本は人を殺した政治家が英雄気取りで歴史の教科書やニュースに出るような国ではないんです、名もなき人間が周りの人を喜ばそう、皆を喜ばそうと頑張ってきた国なんです。その事だけは忘れてほしくない。日本の技術に自信を持ってほしい。誇らしく頼もしく思ってほしい。それが私の考えです。」
私は深く感銘を受けた。
「素晴らしいお考えですね。ところで最初に作ったタンスはどうされたんですか?」
「私の寝室にあります。あのタンスを師匠だと思って毎日毎日磨いています。師匠が私を見てくれていると思うとなぜかシャンとするんです。」
それとこれは後日段ですが、と彼は少し小声になって私に言った。
「雨の中、木材を片した後、実は結構木材が濡れてしまってたらしいんです。そこで私や兄弟子を風呂に入れ、その間に師匠はストーブのようなもので木材を乾かしてくれたようなんです。師匠が亡くなった後、師匠の奥様が私に教えてくれました。私は本当に人に恵まれたなと思ってます。金はなかったし、キツイ事ばかりでしたが師匠と出会えて本当に幸せでした。」
彼は胸を張って私に言った。
彼とは1時間位お話をさせて頂いた、師走の多忙の中貴重なお話だった。
彼に礼を言い、力強く握手をして別れた。握力は強く、去り際は背筋がシャンと伸び颯爽と帰っていった。
「日本は名もなき職業人が皆で頑張って作った国、誇りに思ってほしい。」
彼は寝室にあるタンスを今日も明日も、いや、磨けるものなら死ぬまで磨き続けるだろう
忙しい年の瀬だが、少しだけ時間がユックリ流れた穏やかな一日の事である。







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