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現実はバカ正直の大量生産

こんにちは いつもタツオです。

今回も「超絶くそ野郎」が適当なことをホザくよ。気軽に目を通してくれるだけでも嬉しい限りです。

今日、僕が話したいと思っている事は「嘘」と「正直」について

「...いいですねタツオ君...嘘をついてはいけません」子供の頃に先生から良く言われた台詞だ。

しかし良く考えてみると、嘘をつくと泥棒になるとか、閻魔大王に舌を抜かれるとか抽象的な言葉が並ぶ。だけど、真の意味でなぜ嘘はついてはいけないのか?このことを論理的な説明によって納得させられた試しは無い。

そう、この先生達の言う「嘘をついてはいけません」はテンプレート化された言葉で中身など一切無いのだ。つまり、「ならぬものはならぬ」ってやつだ。

そもそも、嘘も種類があってそれを体系化して説明してくれる人はいなかったので自分なりに考えてみた。

少なくとも嘘には、人につく嘘と自分につく嘘がある。

そして、その嘘も「害」のあるものと「利」のあるものがありそうだ。

当然、人に「害」のある嘘をつくというのが一番 批難の対象となるだろう。

図にするとこんな感じ。かなり大雑把だw(超絶くそ野郎が描いてるという事をお忘れなく!)


こうして見てみると、嘘ってやつは全てが「悪」とは断定できない。

そして嘘の定義も曖昧だ。知らないのに知っている振りをすることはもちろん。知っているのに知らない振りをすることは嘘じゃないのか。←これを嘘のジャンルに入れた場合に、ほぼ大半の人間が嘘をついていることになるでしょう。

「世の中、嘘ばかり」と言う言葉はあながち嘘じゃない

人とのコミュニケーションを円滑にとろうなんてしたら、ほぼ嘘八百が並ぶ。相手にとって都合の良い言葉を選び、若干の装飾を施して伝える。そう、本当に思っている事は表には出さない。(ズバリ!これも立派な嘘でしょう)

人に向かってつく嘘には、確かに救いようがなく破滅へ向かっていくケースの嘘もある(詐欺とか法を犯した嘘など)。だけど、自分や他人を守る為につく嘘だってある。

大人になってから周囲の人を見ていると、正直者の方が圧倒的に苦労している様にみえる...。いや、正直者というよりもバカ正直というべきか。

「四角四面な頑固者」とは、柔軟性が無い人への皮肉として使われる言葉だ。(我が恐妻もこの手の部類に入るだろう。そうあのヒップホッパーだw)

あなたの回りにもバカが付くほど正直な人っているでしょ。それはそれで結構なんだが、この凝り固まった正直の念を押し付けてくる人や融通が全くきかない人は御勘弁を願いたいね。(我が恐妻は融通が全くきかない)この手の人たちは如何なる状況に於いても「我」を押し通すタイプだ。

「噓も方便」僕は世の中これで回っていると思っている。誰かに「害」を与える目的ではなく物事を円滑に進めることの「利」。この考え方は自分や周りの人間を生き易くする為にも重要になってくるのだ。

もしも あなたが人の嘘を見破った場合、鬼の首を取ったかのように吊るし上げて袋叩きにしてはならない。その嘘の種類に着目してほしいのだ。

誰かを守る為に付いている嘘ならば、その嘘に対して共感を示しながらも話をしていくといいんじゃないかな。

タツオの見解としては、嘘はリスクを背負った創造の源だ

リスクを取らなければ打開できない時はある。良い嘘の力を最大限に利用して大きく羽ばたいた方が合理的と見た。

少し堅苦しい話が続いたね。次回は自分のエピソードを踏まえて、もう少しやんわりした話をするね。

まぁ確実に言えることは、嘘をつくのは自己責任。責任を負えない様な嘘なら、つかないに越したことは無いね。

PS:靭帯は再生し、おっかなびっくりサッカーボールを軽く蹴れる様になった「いつもタツオ」より







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