見出し画像

本屋になりたいーこの島の本を売るーを手に取った日

人見知りがすぎる私はレジに本を持って行くことさえ躊躇してしまう。
令和4年7月22日金曜日。とても暑くてクラクラするような日だった。
事前にこの本「本屋になりたい この島の本を売る」を買おうと思っていた。

そして私は「市場の古本屋ウララ」の店主が書いた「本屋になりたい この島の本を売る」をまさに市場の古本屋ウララにて手に取り、レジ前にいる店主に差し出すことができずうつむき気味で悩んでいた。

「店主が書いた本を差し出すなんて恥ずかしいな。購入の際に気の利いたことも言えないし」と悩んでいると、一緒にいた友人はさっと別の新刊を手にとりすっとお会計を済ましていた。
「店主も喜ぶと思うよ。ここで買いなよ。」
相変わらず、友人はさっぱりとしていつも私の背中を押してくれる。

よし!と思い、店主とほぼ目線を合わさずレジへ持って行く。
店主は私の本ですとも言わずお会計をする。今差し出した本の代わりにカバーがついているものがあるのでこれをお渡しします。といってかわいいお店オリジナルのブックカバーがついた本を渡してくれた。

可愛いブックカバー

本を渡された際にやっと店主と目を合わせ、無言でうなづきながら本を手に取る。
(気のせいだと思うけど、店主に素敵な本をありがとうございますの気持ちが伝えられた気がした。が、それは勘違いでだいたいこういうのは言葉にしないと伝わっていないということを今までの人見知り人生で学んでいる。)

こんな風に手に入れた本。
数分前までは本の購入を躊躇っていた私は数分後に買えた嬉しい!と友人に報告する。

一概に本屋といっても、数ある本屋からこのお店を選び一冊を手に取る。
何気ない行動だけど、ほとんど運命みたいなものだと思う。

そして、市場の古本屋ウララがあの場所にあること。この時代にあること。
今まさに市場が昔の時代から新しい時代へと動き出す瞬間を目の前にしていること。あれもこれも勝手ながら運命だと思う。

下記は、本に記載のある店主のエピソード。

トークイベントで店の話をしていて、「公設市場が建替になったらお店はどうするんですか?」と聞かれたとき、「私はあの場所に残って、市場の建替を見届けたいです」という言葉が勝手に出てきた。そうか、見届けたいのか、と初めて気づいた。

店主が思わず行ったこの言葉は「市場の古本屋ウララ」が市場の細胞の一つとして呼吸をしている証拠だと思う。

沖縄戦のあと人々は品物を売り買いするようになって闇市が立ち、やがて公設市場が整備された。
移転前の牧志公設市場
今はなきコーヒースタンド小嶺
冷しレモン

日々変わりゆく市場。
それを目の前に市場の古本屋ウララが今後どのような呼吸をしてどんな表情をみせてくれるのか私はとても楽しみだ。

ウララが日々新しい風を取り込むように、私だって少しだけ成長して人見知りをちょっぴり直したいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?