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谷川俊太郎さんの紡ぐ言葉

落ち着く場所や心の拠り所みたいなものってありますか?
(宗教勧誘的な文言ですがそうじゃないので是非続きをどうぞ。)

多忙な日々が続くと無理矢理にでも休息ポイントを作らないとさらに続く多忙な日々に耐えきれなくなる。友人と会ってたわいのない話をしたい。自然が豊かな場所で思いっきり深呼吸をして地球を感じたい。

前途で挙げたのは私の理想で、実際忙しい日々の中にこの時間を作ることはとても難しい。なので、仕事から帰宅した私は泣きべそをかきながら「リフレッシュ挟まないと無理だな」とつぶやく。

とは言っても社会人を数年続けているとどうにか日常でのリフレッシュ方法を見出す。昔は遅く帰ってきた日でも晩酌をして自分時間を設けていた。でも最近は晩酌をすることによって翌日の仕事の効率性に影響する気がして控えている。(年齢的な問題もあるのかも)それに代わって本当に滅入っているときは瞑想を取り入れた。頭の力がスッと抜けてとても落ち着く。果たしてこれが瞑想なのかどうなのかも良くわからないまま見よう見真似で瞑想をしているけど、瞑想をした後には心が凪の状態になるのでそれで良いとしている。

この瞑想に匹敵するほど心が落ち着くものを見つけた。親愛なる谷川俊太郎さんの言葉だ。以前から谷川俊太郎さんの詩が好きで詩集をいくつか持っている。読書の一環で読んでいたので、多忙が極める時期に読むということをしていなかったけど、ある日の就寝前に詩集を手に取って読んでみた。

谷川俊太郎さんの言葉が心に染みる。染み渡る。染み渡りすぎる。
普段読書しているときよりも頭に直接伝わってくる。伝わりすぎて涙がでてくる。ここで言う「涙がでてくる」は比喩ではなく本当に泣いている。それも自分でもどうして涙が出ているのかわからない。いわゆる感動して涙が出ちゃうという詩の内容でもない。とにかく心が谷川俊太郎さんの言葉で何らかしらの琴線に触れて泣いている。そしてその後はとても心が落ち着く。

音楽や小説より情報量が少ないはずの詩に私は何故こんなに感動しているんだろう。理由はわからないけど谷川俊太郎さんの言葉に惚れ惚れしている人が世の中に沢山いるという事実が、ひとつの証明になっている気がする。

気づいていないだけで私の人生には谷川俊太郎さんの言葉があった。
学生の頃の教科書で印象に残っていた詩がある。とても好きだったので冒頭を覚えていた。友人たちに冒頭を音読してもピンと来ていないようで、「めちゃくちゃ良い詩だったでしょ!覚えてないの?」と少し不機嫌になったりもした。かくいう私も誰の詩だったかわからなかったので大人になって調べてみると谷川俊太郎さんの詩だった。

カムチャツカの若者が きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウィンクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

谷川俊太郎「朝のリレー」

学生から社会人になる時期、お守りのようにもっていた本がある。スヌーピーの本。ただのキャラクターだとおもっていたスヌーピーが本の中でとても良い言葉をかけるので何回も眺めていた。今見返すと、翻訳が谷川俊太郎さんだった。

そして数年経った今も私はお守りとして谷川俊太郎さんの詩集を大切にもっている。いつでも私の人生の側にいてくれる。これからも大切にすると思う。言葉ってすごいな。心からそう思う。私の拠り所は谷川俊太郎が紡ぐ言葉。

古書店で買った詩集に当時のものらしき栞が挟まっていた

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