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とあるきょうだい児の過去の話。


マドレーヌ、美味しそうでしょ。
これ、僕の妹の文化祭で食べたものです。
僕の妹は今年は食品加工班に所属しているらしい。

そういえば『作業班』とか『食品加工班』とか、聞き馴染みのない方も多いのでしょうか。

この短さで説明するのは限界があるので詳しくは調べてみてください。

まあ何が言いたかったかというと、僕の妹の学校は特別支援学校で、簡単に言うと妹は『障害児』というやつなのだ。

というわけで以下、本文。くコ:彡いかー。

当時小学生の僕。

『僕の妹、知的障害があってさ。
だから同じ小学校じゃなくて特別支援学校に通っているんだ』

もはや何回言った?ってくらいにこのフレーズを繰り返した。でもいいはじめたころ、ちょうど小学4年生になったころの僕はこのことに何の違和感もなかった。だから普通にいつもと同じテンションで話していた。
あの日までは。

はい、ということでいつもとは違う始まり方をしました。
依月です。
この前少しだけ障害に関することを話したので今日は僕の身の上話、そしてちょっとしたトラウマの話を。

僕はきょうだい児です。
一般的に障害児の兄弟をきょうだい児といいます。
ん?20歳越えたから『児』ではない...?まあいいや。
自閉傾向ありの知的障害児で小学部からずっと特別支援学校に通っている、そんな妹がいます。
生活の中心はどうしても妹さん中心。
でも、それに何の違和感もなかったんです。
何なら今も大して感じていない。
だってこれが我が家の普通なんだもん。
妹に障害があっていわゆる定型発達の子どもに比べれば発達の度合いは遅くて、それが普通なんです。

僕と妹は3歳差。ちょうど僕が4年生になる時に1年生になる年齢です。同級生の妹さん、弟さんが同じ小学校に入る中、僕の妹だけは特別支援学校に入学。

周りからすればおかしいなって思ったんでしょう。
だから何度も聞かれました。

『なんで依月の妹は同じ小学校に入学しないの?』って。

僕はその辺隠す気も無ければ隠す必要性も感じず、普通に言っていました。

『妹、知的障害があってさ。だから同じ小学校じゃなくて特別支援学校に通っているんだ』

大体の人は特にわかっていなかったり大して興味なかったりしたのか、雑な相槌をするだけでした。なんなら仲良かった子たちは小学校に上がる前、療育施設に通っていたころから妹のことを知っていましたから今更聞かれることもなかったのです。みんなそういう反応だったから僕自身も『やっぱり普通のことじゃん』って思いました。

ある日、クラスのいい子ちゃんグループの子に聞かれました。いつもと同じ事を。
だから僕もいつも通りのことを言いました。
もはや息をするようにさらっと。
そして何も起こらず普通に休み時間を過ごすものだと。

そしたらまあ聞いたこともないような反応をされたんですよ。

『あっ…ごめんね』

違和感。

あれ?いつもと違う反応だ。あれ?そもそもなんで僕は謝られているんだ?
混乱の中聞きました。

『なんで謝るの?』

そしたらその子は気まずそうに。

『だってそういう話は隠してることじゃん。
むやみに聞いてごめんね』って。

時が止まったのを覚えています。
よくわからないままその言葉をかみ砕きました。
そして気が付いてしまった。

妹は隠さなきゃいけない存在なの??

今ならわかります。というかその当時も何となくわかっていました。
その子に悪気はないと。むしろ僕を気遣っての発言であると。

でも怖かった。
だっていつも普通に接している妹は隠さなきゃいけない存在って言われたような気がしたから。ましてその子はいい子ちゃん。日々教師から模範生徒のような扱いを受けていた子。何となく『この子の言うことだから正しいのかな?』って思ってしまったりして。
そこから暫く傷ついて傷ついて。

そこから妹の詳しい話は隠すようになりました。
傷つきたくないもの。妹を腫れ物みたいに扱ってほしくないんだもの。

妹の存在を詳しく説明しないことで妹を腫れ物みたいに扱う人は現れず、その場は平穏に過ごせました。でも心のどこかで僕まで妹のことを腫れ物扱いしているような気がして。
思春期だったことも相まってかなりしんどい期間でした。
妹の存在って?僕の存在って?妹はいてはいけない存在なの?僕はきょうだい児としてこれでいいの??かなり悩んで悩んで苦しんで。
小4で傷ついて以降高2の秋まできょうだい児だということをカミングアウトした人は多分片手で数えられる程度しかいません。

じゃあなんで今こんなに堂々ときょうだい児って言っているのか。
そんな苦しい状況から救い出してくれた人がいたからです。

高2の秋、みんなで進路について話しているとき。
高2の秋ですから志望学部学科を決めるか決めないかの時期。そんな中僕は『特別支援学校の先生になりたい』とずっと言っていました。まあこんなに限定しているのですからまあいろんな人に聞かれます。なんでかって。その時もまあ何となく流して答えていたのですが…。
高2の時、昼食の時間にその話になったとき一人の子が突然耳を疑うようなことを言い出しました。

『すごいね、仕事で障害児と関わりたくないわ!!』

自分で言うのもなんですが、ある程度の偏差値の中高一貫校です。みんなある程度の常識は備わっています。普通に大きな声で障害児を批判するような発言はタブーという謎の不文律は浸透しているはず。

本気で驚いているとその子はさぞ当たり前かのように話しはじめたのです。
『私の双子の片割れが障害児でさ、もう日常生活で十分だよ。だから仕事でも障害児と関わろう!って人見るとマジで尊敬するわ。』

息をするようにきょうだい児をカミングアウト。周りの子も知っている様子。
驚いた。言っていいことなんだ。もうここなら妹を腫れ物みたいに扱わなくていいんだ。

もうよくわからない感情でなぜか泣きながらきょうだい児であるとカミングアウトした。みんな普通に『へー』って対応してた。なんだか当時抱えていたしがらみが消えた感じがしてうれしかったし心が軽くなった。

そういう経験があって、かつ大学の学科が学科なもんですから周りにきょうだい児が多く今では妹の話をしょっちゅうします。妹の面白い話、凄い話。シスコンかってくらいに話します。

今の僕がいるのはきっと高2の秋のあの昼食の時間があったからだと思っている。
あの時、ごく自然にカミングアウトしてくれる友人がいたから、あの時当たり前かのように自然に受け入れてくれた、反応してくれた友人たちがいたから、今こうして笑って過去の話もできるのかなって。

勿論今でも思い出してはしんどい気持ちになります。
学科が学科なので授業で障害児・者の家族支援を扱い、その中できょうだい児に触れる場面があるという授業を何コマも受けました。そのたびに過去の記憶がよみがえって苦しくなります。自分の傷ついた過去、きょうだい児としてのアイデンティティの乱れ、そして大好きな妹に対して感じていたうしろめたさ。辛かったけどあれがあったからこそ今こうしているのかと思うと『ごめんね』と言われた経験もなんだかんだいいものだったのかも知れないと思えてくる。

以上が僕のきょうだい児としての過去や考え。
きょうだい児っていうアイデンティティもなかなかにいいものですよ。きっと。少数派ゆえの楽しい体験もたくさんできた。
妹にはめちゃくちゃ感謝しています。
私の妹になってくれてありがとうって。

それでは。今日はきっとこんな日だった。

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