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背中にカミナリ

随分と前の話。
過去の記憶にとらわれてしまっているのかなぁと思いながらも、とても強く私の記憶に残っていて、今でも時々思い出す。
それはもしかしたら、未来に繋げたい大切な記憶だからかもしれないので、こうやって文章に残しておくことにした。

あれは何年前だっただろうか、知人の紹介でトランペッターの近藤等則さんのライブに行き、打ち上げにも参加させて頂いた。
当時「地球を吹く」という国内外の大自然の中で演奏をするプロジェクトをされていて、ライブは、今まで体感したことのないパワフルなトランペットの音だった。

近藤さんの著書のタイトルにもある「いのちは即興だ」そのものを感じ、どこか官能的な音。

私はこの日まで、近藤さんのことを全く知らずにいて、後日、ダライ・ラマ14世に依頼を受けて「世界聖なる音楽祭」のプロデュースをしたり、様々なミュージシャンと演奏していた方だと知る。
とても気さくな方で、はじめましての何も知らない私に対しても、分け隔てなく接して下さった。

打ち上げ後、場所を移して少人数でお酒を飲みに。
酔いもあって全ての会話は覚えていないけれど、とても記憶に残っていることがあって、それは、天体の話になり、近藤さんが「今この瞬間もさ、止まっているようで、地球は猛スピードで宇宙空間を動いているんだよ」と言ったその瞬間、近藤さんの背中側の窓に映る名古屋の空に爆音と共に大きな雷が落ちた。

あまりのタイミングの良さにびっくりして、近藤さんも、「いや、今の俺の仕業じゃないよ笑」と言って、漫画みたいな、まるで神話のワンシーンみたいな展開に、その場に居た人達全員が思わず声を出して笑ってしまった。


今思えば、神話に出てきそうな出来事。

他にも今までに同じような漫画みたいな瞬間を体験してきた。
街中に居ても、都会の忙しない時間軸とは別の時間軸で生きているんだろうなと感じる人達といる時に、自然のリズムと共にある人は、もしかしたらこんな風に、自然現象とその瞬間の佇まいが一致するのかもしれないな。

近藤さんとは色々な話をして、確か私の何かを褒めてくださったのだけど、酔っていたからか、何年も経ってしまったからか、どんな言葉を頂いたのかを思い出せないのはちょっと悔しい。

別れ際には、「また会おうね」と言って、強く手を握ってくれた。

それから何年か経ち、近藤さんが亡くなってしまったことを知り、とても後悔した。
「いつかまた会える」そう思って、自分から会いに行くことをしなかった。

「また」なんて、ないのかもしれない。

その日から、強くそれを思うようになった。

いのちは即興

受け取った熱感をすこしでも、私にも出来る何かを見つけて繋いでいきたいな。



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