手紙たち

ある女性からの人生相談の手紙

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「私は頷いてほしいんです。

 私はそれほど多くの場所にいけなくてもいいです。コンビニと、スーパーと、美容院と、町外れにある未亡人女性(これは私の妄想です)がやっている小じゃれたブティック。それらにさえ行くことができれば他にはどこにも行けなくていいです。私の行きたい場所はそれほど多くはないんです。それほど多くのものを食べなくてもいいです。朝はコーヒーが飲めるなら、後はコーヒーに合う食べ物ならなんでもいいです。バナナと、無糖のヨーグルトはたまに食べたいと思うけれど、それ以外には本当に何の希望もないんです。昼はサラダだけ食べることができたら後は何でもいいです。サラダだけでもいいくらいです。夜は本当の本当に何でもいいです。でも1人で何かを食べるのだけは嫌いです。それがどれだけ美味しくて、どれだけ暖かい食事だったとしても1人で食事をしたいとは思えないんです。1人で食べるぐらいだったら何も食べない方がましなぐらいです。もっと正確に言うのなら私は私の食べるところを誰かに見ていてほしいんです。朝と昼はなかなかそんな贅沢を言ってられません。だから夜くらいは。仕事が終わって少しだけ自由になれる夜ぐらいは、私は誰かに私の食べる姿を見ていてもらいたいんです。…本当はもっと違う文章を書きたかったんだけれど推敲はしないでおくことにします。そしてもうここで結論を言ってしまいます。私は多くは望みません。私はただ誰かに頷いてほしいんです。生きるためには何かを食べなくてはいけません。食べるということは「生きる」という意思を具体的に行動で表すということです。少なくとも私はそんな風に考えています。私はそんな私の精一杯の「生きる」を誰かに見てもらいたいのです。そして一噛み一噛みするごとにコクコクと頷いてほしいんです。「生きていていいんだよ生きていていいんだよ」って。それは1回行われればいいものじゃないんです。3日に1日のペースで行われればいい種類のものじゃないんです。それは毎日行われなければならないんです。ほんの数センチでも穴があってはならないのです。穴は、たとえそれがどんなに小さかったとしてもそれが穴であるならば、それはやがて裂け目となり、最後には必ず堤防は決壊します。そうなったら町は汚濁に飲み込まれて、私はもう正気を保っていられなくなってしまいます。でも…悲しいことに私は望むものを手に入れることができていません。1人でしかも冷たい食事を食べなくてはいけないような夜が頻繁に訪れます。涙すら出ないような渇いた夜です。私の堤防はもう決壊寸前です。もっと具体的に言えば私の心は壊れてしまいそうです。私はただ頷いてほしいだけなのです。私は何も大層なことは求めません。私は質よりもはるかに量を大切にします。夕陽は毎日輝くから美しいのです。私はそっぽを向いている時でも変わらず毎日美しいから…なんていうか…安心できるんです。私はとにかく「毎日確実」が欲しいんです。お金なんてどうでもいいです。どうでもいいってことはないけど…。まあ多くは求めません。愛の言葉も求めません。頻繁に口にされた言葉が、それを口にしている当人の心にもそしてそれを聞いている人の心にも空しく響くようになるということを、私たちはもう十分思い知ったからです。だから頷くだけでいいんです。首をいったん下にやって、上に戻すだけです。それを私が夕食を食べている間中にしてもらえばそれでいいんです。たったそれだけのことなのに…。たったそれだけのことを誰も私にしてくれないんです。それが…それが…私は悲しいんです。…いや、これは質問コーナーでしたね。たったそれだけのことをなぜ誰も私にしてくれないのか。それが質問です。こんな長文が採用されるとは思わないけれど。でもとにかくこうやって長い文章を書いたら心が整理されたような気になりました。なんというか…。手紙の終わりってうまく書けないですね。とにかく私の手紙はここで終わりです。変な言い方だと思うけれど…。とにかく終わりです。ここで終わり。」


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 もちろんこの手紙は採用されなかった。しかし手紙の選別を行っていた男は思うところがあり、この手紙を懐にいれたのであったが、同僚たちはそんなことには全く気づかなかった。気づく暇もないぐらいに忙しかった。それぐらいその番組宛てに送られる手紙は大量にあった。そんなにたくさんの手紙が送られるぐらいにその番組は人気があったのだった。


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