砂漠についての雑文

 砂漠での生活は困難を極める。砂漠地帯は大抵昼間暑く、夜は寒い。そして砂漠地帯では食べ物を手に入れるのが難しい。オアシスなどの極限られた場所で、風土にあった植物を育てなければならない。

 移動手段はずっとらくだであった。らくだは厳しい環境でも生き抜いていくことができる。らくだは1度に大量の水を蓄えることができる。だから1度オアシスで水を補給することができれば、らくだは何日間も何も飲まずに歩き続けることができるのである。


 現代では自動車があるので、らくだに乗って移動する人は大分減ってしまったかもしれない。それでもまだ相当数の人がらくだに乗って移動しているはず…である。個人でらくだを所有している人もいれば、らくだを人に貸して金を稼いでいる人もいるはずである。昔は要所要所に駅があり、そこでらくだを借りていくことができたはずだ。

 砂漠。たとえどれだけ暑くても砂漠の中を半そでで過ごしてはいけない。砂漠の太陽が発する光はあまりに強すぎて肌を傷つけてしまうからだ。だから砂漠を歩く時には長袖を着なくてはならない。中東の人々がよく着ているあのゆったりとした衣服は決して非合理的なものではない。今の時代に砂漠で暮らすこと自体が非合理的なのだと言うことは出来るかもしれない。しかし砂漠で生まれ育ち、砂漠に愛着を持った人に向かってそのことを言える人が果たしてどれだけいるであろうか。

 日本には砂漠は数えるほどしかない。有名な鳥取砂丘は近年「緑化」が深刻で、砂丘を維持するために国だか県だかが補助金を出しているのだという。人生いろいろという感じである。しかしこういう事情もあってどうも日本人は砂漠というものにロマンというか幻想というかそういうものを抱いてしまいがちである。少なくとも私はそうである。砂漠のことを思い浮かべるとなぜか勇気が湧いてくる。砂漠にぽつんとたたずむ城壁都市。砂漠をうごめくサソリ。キャラバン。アサシン。緑あふれるオアシス。ハーレム…。想像力をくすぐるそういったものをいくらでもイメージすることが出来る。

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 砂は常に流動している。…それにしても僕が昔持っていた「砂の女」はどこに消えていってしまったのだろう?それはいつのまにか姿を消してしまっていた。確かにあったはずのそれは、いつのまにか姿を消してしまっていた。

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 砂、砂、砂…。砕けてしまった岩が砂になる。からからに乾いてしまった地面が砂になっていく。木々も生えない。何もない。「何もない」と言葉にすることすらそこでは許されない。

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