2016年7月28日の日記

今日は1日図書館で過す。図書館へ行く前にブックオフに寄った。

 ブックオフでは甲賀忍法帖と北人伝説を買った。そこから長い道を歩いて図書館まで行った。途中、駅のそばの川にかかる橋の辺りで、「核廃絶」を主張するデモ隊の行進を見た。初老の男女の十数人の集団が、前後を警察に守られながら車道を堂々を歩いていた。

 マックで買ったチーズバーガーとチキンクリスプを公園で食べる。咀嚼したパンのひとかけらを地面に向かって吐き出してやると、即座に一匹の雀がパンくずのそばに降り立った。しかしすぐには口に入れず、何か躊躇しているようであった。しかし結局は嘴でつまみあげて丸ごと食べてしまった。

 図書館ではまあまあ色々な本を読んだ。以下本の題名とそのちょっとした感想を箇条書きにしてみる。

・河田日出子「俺はこわれちゃったんだよ」
アルツハイマー(認知症?)を患い、少しずつ変わっていく夫の様子を妻が書き記したもの。夫はそこそこ社会的地位のある人間で、どこかの女子大の校長も務めたことがあるようである。夫は満州出身だったようである。アルツハイマーの初期においては金銭トラブルがよく起きるそうである。つまり財布などをどこに置いたのかわからなくなるのであるが、自分ではまさかそんなことが起きるなどとは思わないので「誰かが盗んだに違いない」という結論に至るそうなのである。この夫のケースでもやはり同じようなことが起きたそうである。夫は自分の息子が盗ったのではないかと疑ったのであるが、それを目の当たりにした妻の悲しみは到底計り知れない。そして最後にはその疑った息子のこともほとんどわからなくなってしまうのである。

…そしてアルツハイマーにつきものの糞尿である。これはなかなか介護する者にとっては辛いことである。介護の人は妻に「実際的な処理は介護士に任せて、奥さんは精神的なことでご主人を支えてあげてください」と言ってくれたそうである。そういう介護士もいるが、しかしそりがあわない介護士というのもいるようである。介護士も数が足りていない。えり好みをするわけにもいかないのである。

・藤田正裕「99%ありがとう ALSにも奪えないもの」
13歳までニュージャージー、スイス、ロンドンなどで暮らしてきて、それから日本にやってきて、そしてハワイのホテルやマッキャン・エリクソンで働きながらリア充生活を送っていたが、30代になってALSに罹患して寝たきりになってしまった男性の手記である。ALSは筋肉が萎縮して全く動かせなくなる病気で、文章をなどを書く場合には文字盤の上で視線を動かして1文字1文字指定していくという手法を用いなくてはならない。この本もその手法で書き上げられたものだそうである。文章からはほとばしるほどのエネルギーを感じた。ALS患者の中には視線すらも動かせない、という人もいるそうである。そういう人は完全な静寂、暗闇の中、それでも意識な明晰なまま生きていかなければいけないそうである。著者はもちろんそういう症状ではないのであるが、仮にそういう状況になったとして、それでも前向きに生きていくことができるかどうかということは自信がないと綴っていた。それが印象的であった。


・荻生徂徠「風流使者記」
柳沢吉保は甲斐国の地勢調査のために徂徠と田中省吾なる人物を甲斐国に派遣したことがあるのだが、その時の見聞記である。徂徠の著作の内、徂徠の人柄がありありと写しだされているのは実にこれと峡中紀行だけだそうである。読みこなすのは流石に骨が折れそうである。しかしいずれ借りてじっくりと読み込んでみたいと思う。これも一種の旅行記である。省吾と2人で馬に乗るシーンが面白かった。


・随筆大成もぱらぱらと読んだ。しりうごとなど。


・福永光司「魏晋思想史研究」
ぱらぱらと読んでみたがなかなか面白そうであった。何晏、阮籍、嵇康、慧遠、陶淵明、この辺の人々の思想には非常に興味がある。何晏が言うところの無は、そこから陰陽を始めとした様々な有が生まれいづるもの、朱子学における太極のようなものであるそうである。これはほとんど旧約的な神のごとき性質のもので、違うのは神が有を「つくる」のに対して無は有を「うむ」のであるという点だけである。

 まあまあ疲れた一日であった。

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