饗宴

何を考えればいいのか。

たくさんの人間たち。…が、一所に集まって何か色々と話をしている。お前達は何者なのか、こんなところで一体何をしているのか、と尋ねてみる。しかし彼らは何も答えない。私はさらに声を張り上げて尋ねてみる。すると集団の内の1人が振り返る。そして彼は言う。…自分は名もなき1人のロシア人だと。また別の人間が振り返って言う。自分は1人のフランス人だと。ロシア人やフランス人がなぜ日本語を話しているのだ?と聞くと彼らは何でもないことかのように答える。「君が日本人だからさ」。…だとすると仮に私がイギリス人だったらあんたらは英語を話していたのか?中国人だったら中国語を、エスキモーだったらエスキモー語…なんてのがあるのかわからないがとにかく彼らの言葉を、アボリジニだったらアボリジニ語を話していたとあんたらは言うつもりかね、と私は尋ねた。すると彼らは「もちろんそうさ」と答えたのだ…

それにしても僕は何をすればいいのか…と僕は呟く。なんでもないさ、と1人の男が僕に向かってささやく。(中略)


 仕方がないとでもいうのかい?とその男が言う。せめて職業ぐらい教えてくれないか?と僕は言う。SF作家さ、と肩をすくめながら彼は答える。SF…。SF…。SFとは一体何だろう、と僕は考える。宇宙船とか、タイムマシンとかサイバーテクノロジーとかが出てくる小説のことだ…。しかしそれが一体何だというのか。


 

 ロシア人とフランス人の会話の内容が聞こえてくる。どうもあまり馬はあっていないようだ。「僕は僕の偽者に過ぎない…」とか、「どうしてこんなところに来てしまったんだろう…」などといった言葉が時折聞こえてくる。


「確実に言えるのは」SF作家が呟く。「君はここにいる人々の中で一番若いということだ。若さを長所ととらえるか短所ととらえるかで大分話は変わってくるのは確かだが…。まあしかしそれが君の特徴であることには変わりがない」


「僕は所詮伝記作家でしかない」

 また別の誰かが呟く。

「ここにいるのは全員がそうさ。誰もが自分の名前と、自分の送ってきた人生を絶対的に自分の物であると信じている。…しかしそれは間違いだ。僕は僕自身じゃない。僕は僕自身について、他人よりも”詳しい”人間であるに過ぎない」


「同感だな…」と、ロシア人が言う。


「ここにいるのは皆死者なんだよ、1人をのぞいて」

と、SF作家が言う。その1人とは?と、尋ねる前に「ほら、彼がそうさ。彼だけが生きているんだ」と1人の男を指差す。それはさっき「僕は所詮伝記作家~」などと呟いた男だった。


僕はこんなところで一体何をしているのか?僕はこんな狂人どもがひしめきあっている部屋の中で一体何をしているというのか?

「君はとにかく誰の言葉も無視して、外国語だけ学んでいればいいんだ。そうすればきっと何かが見えてくるはずだよ」

それを言ったのはフランス人だった。あなたも死者なんですか?と僕は尋ねた。彼は答えず、ただ薄ら笑いを浮かべただけであった。違う言葉を覚えるとは、違う物事の切り取り方を覚えるということだ。別に外国語を自由に扱えるようにならなくたっていいんだ。ただ、違う視点を知ることさえ出来ればいい。彼はそう言った。


ちょっとフランス語を話してみてくれませんか?と僕は尋ねた。彼は流暢にフランス語らしき言葉を喋った。らしき、と言うのは、僕自身がフランス語が話せないので、それが本物のフランス語なのか、それともでたらめの言葉なのか判別することが出来なかったためである。je sais,,,だのet,,,だの言った断片ぐらいは聴き取ることは出来るが、意味をとるとなると全く駄目である。しかし自分が相手の言葉を理解できないのが、自分が相手の言葉を知らないためなのか、それとも相手が全然誰にも理解できないような言葉を話しているからなのか、相手の言葉を知らない人間が判別することができるものなのだろうか?


彼が言っていた伝記作家うんぬんというのは…一体どういうことなんです?と僕はフランス人に尋ねてみた。

まあ…僕は確かに僕に関しての記憶がある。僕の経てきた恋愛、僕のこなしてきた仕事、くぐりぬけてきた様々な厄介事、…それらについてのふんだんな記憶がある。鏡をのぞけばそこには見慣れた禿頭が写っている(確かに彼はハゲていた)。自分しか知らない場所にあるはずの傷もちゃんとある。ありとあらゆる物事が、事物が、僕が僕であることを証明している。…しかしそれらの証拠は十分なのだろうか?自分が自分であることを証明するための証拠として十分なのだろうか?そういう懐疑が元になっているのだろうね。…彼は生きている人間らしいから…そういう懐疑が人一倍強いのだろうね。


そうフランス人は言った。

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