2016年12月12日の日記

午後外出。あまり気乗りはしなかったが、明日は雨が降るという予報なので重い腰を無理やりあげてとりあえず外に出た。


 ホームセンターのそばを通っていると、店員が中から出てきて「お客様!」と誰かに呼びかけていた。辺りをきょろきょろ見渡し、ちょっと離れたところで自転車に乗ろうとしていた男性を見つけるとかけよって「これ忘れていきましたよね…」などと声をかけていた。なんてことのない光景であるが、なんとなく記憶に残ってしまった。


 そんな光景をもう1つ。目の前を背の小さいおじさんが歩いていた。みすぼらしい服装だったが帽子だけはおしゃれだったように記憶している。そのおじさんが急に駆け出した。一体どうしたのかと思ってなんとなく目で追ってみると、おじさんは建物の段差のところにいた女性の下へ駆け寄った。女性はベビーカー連れで段差のところでまごついていたのだが、おじさんはこの女性の手助けをするために駆け寄ったのである。はっきりいってあまりスマートな感じではなかった。ひょこひょこと走っていって、ベビーカーに手を添えてがちゃがちゃやっている、という感じであった。それでも女性はおじさんに「ありがとうございました」と軽く礼を言い、おじさんは「いいってことよ!」と嬉しそうにぶんぶん手を振っていた。


なんとなく気のむくままに歩いていると、いつの間にか駅前のデパートに着いていた。1階で売られているケーキやユニクロの洋服などを眺めた後本屋へ。「進化は万能である:人類・テクノロジー・宇宙の未来」マット・リドレーをなんとなく手にとって読んでみた。その内「政府の進化」という章が特に注意をひいたので読んでみた。開拓時代の西部アメリカは無法地帯で、毎日たくさんの殺人事件が発生していた…そういうイメージがあるがそれは嘘である。実際には自警団のような犯罪を防ぐシステムが「複数」現れ、それが競合しあうことによって治安を維持していたのだ。さらに20世紀後半のアメリカ刑務所の状況も参考になる。刑務所で服役している人々は独自の制裁システムを保持しているが、これはトップダウンで作られたものではなく、自然発生的に出来たものである。それは一種の刑務所内ギャングのようなものであるが、それによって一定の治安が保たれていることも事実である。これらの例からわかるように治安維持システムは必ずしもトップダウンによって作られるものではない。そもそも国家というものも元々はギャングのようなものであった。なわばりを決め、その中にいるものの安全を保障するかわりにみかじめ料=税金を取る。その点ギャングと国家はよく似ているのである。あえていえば国家とはギャングが進化した物なのである…。みたいなことが書かれていた。

 その後図書館へ向かう。質屋のある通りから橋を渡ってセブンの横を通る道を行ったのであるが、その辺りで警察官の集団とすれ違った。30人ぐらいはいて、多くが赤色に光り輝く警棒のようなものを持っていた。あまりに数が多くて気がゆるんでいたのか、学生のようにわいわいがやがやと騒ぎながらずんずんと進んでいった。あれは一体何だったのだろうか。一斉パトロールだったのだろうか。それともそもそも似ている格好をしているだけで警官ではなかったのだろうか。しかしあの帽子と制服はどう見ても警官のものだったのだが…。


 図書館では字通と悲劇の誕生を読んだ。しかし何か非常に空気が悪く、集中することができなかった。特に閲覧室はひっきりなしに誰かが咳をしたり鼻をすすったりする音が響いていた。1階にはきつい体臭を発する者もいつもより多くいたような気がする。そういう日もある、ということなのだろうか。それとも年末はいつもそうなのだろうか。


 昼食は卵がけご飯に昨日の鍋の残り汁に餅を2つ入れたもの。夕食は鮭とかぼちゃの煮つけとご飯と味噌汁だった。

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