荻生徂徠「弁道」を読んで メモ
荻生徂徠は、「道」とは不変の真理ではなく聖人が社会を安定させるために作った「作為」であると述べる。聖人の出現は歴史上1回だけの出来事であり、朱子学の教えをいくら守っても聖人になることはできない。孔子は「道術」という言葉を好んで用いたが、朱熹はそれを隠蔽した、とも述べる。
中庸は元々礼記の一篇であり、それを朱熹が四書の1つとして選定したものである。徂徠は中庸とは元々孔子の生み出した礼に従って生きることだった、と説明する。
徂徠は孔子の作りだした具体的な「制度」を重視する。朱熹は孔子の制度は無視し、「その精神」を抽出し、孔子の言っていることとは全く違う理論を作り上げた。そんなようなことを言って批判している。
朱子学は「内を大切にし、外を軽視する」 徂徠はこれにもあまり納得していない。
徂徠は心でもって心を制そうとしてはいけないと述べる。なぜなら心には形がないからである。形のない心を制するためには具体的な形のあるものをもってしなければいけないと述べる。その形のあるものとは礼のことである。それも後世の人が勝手に考えて作りだした礼などではなく、歴史上に1回だけ現れた聖人である孔子が作りだした本物の礼によって心は制されなくてはならない。
こうした考えからおぼろげに浮かび上がってくるのは、徂徠の抽象に対する憎悪である。
しかし言葉はどんどん抽象化していくものである。孔子の時代には孔子の言葉は確かに具体的な制度に対して向けられていたのかもしれない。しかし時代がかわり、言葉をとりまく環境が変わってくるとどうしても言葉と物とを結んでいた鎖が断ち切られてしまう。そこで言葉はどうしてもその対象があいまいな、抽象的なものになってしまう。徂徠はこの抽象的な言葉を憎んだ。言葉とそれが指し示されるべきものはきちんと対応していないといけないという強い信念があるように思われる。いわば彼は物から遊離してしまった言葉、言葉の幽霊を憎んだのである。
非常に興味深い思想である。私はこの徂徠の思想が日本人離れしているものだとは思わない。むしろ、深いレベルで日本人伝統の思考様式と繋がっているものであるように思うのである。
弁道3で、「道は統名である」と述べている。先王が打ち立てた安天下のための道具である礼楽刑政を総称したものが道であり、礼楽刑政とは違う別の概念を表す言葉ではないと言っているのである。私はこの言葉から、徂徠の「何を指し示すのかわからない言葉」に対しての嫌悪を感じとることが出来る。
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