天皇について色々と 雑文


 やまたのおろちという怪物がいる。この怪物はドラゴンクエスト3にも出てきたし、ブルーシードという当時好きだったアニメにも出てきたから、なんというかかなり親しみのある怪物であった。今でも「怪物」というと真っ先にこれを思い出してしまうほどである。

 そういうわけでやまたのおろちの物語もよく覚えている。やまたのおろちはある集落を支配し、そこの住民を恐怖のどん底に陥れていた。やまたのおろちは毎年1人の少女の生贄を差し出すよう要求していたのだった。そして生贄を差し出す時期になった時、集落をある勇者が訪れたのである。勇者は知恵を働かせておろちに酒を飲ませて酔わせて殺し腹を切り裂いた。すると中には草薙の剣があった。勇者は剣と少女を集落に連れて帰り、めでたしめでたしとなった…まあそういう話であるが、この勇者が誰だったか、ということがまずあいまいである。スサノオノミコトだったか、ヤマトタケルだったか、いつも忘れてしまうのである。多分ヤマトタケルだった気がする。(後で調べてみたら違った。やまたのおろちを倒したのはスサノオだった。)

 ヤマトタケルも有名な天皇と見做されているのであるが、それが誰だったかということも忘れてしまった。応神天皇だったろうか?応神は八幡宮に祀られているいわゆる軍神で、化け物退治で有名なヤマトタケルと同一視されても不思議ではないと思うのだが、どうだったろうか。(全然関係なかった。そもそもヤマトタケルは天皇の位につかなかったようである)

 ヤマトタケルは第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。天皇と全く無関係というわけではないのである。ちなみに仲哀天皇の次の15代天皇が応神天皇である。

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 有名な天智天皇は38代目である。この時代の人々はヤマトタケルの伝説についてはどう考えていたのだろうか。実際に起きた事件として考えていたのだろうか、それとも実際に起きた事件を元にしたフィクションと考えていたのだろうか。そもそもこの時代には神話を文字の形にして残すということすらろくに行われていなかったのである。今と神話の形が微妙に異なっていた可能性すらある。実際どうだったかということを知ることは困難である。

 中大兄皇子は大化の改新がおきてからすぐに天皇に即位したわけではない。白村江の戦いで負け、唐が侵攻してくる可能性が高まって近江大津に遷都してもまだすぐには即位しない。とにかくかなり時間が経ってから即位したのであった。


 天智天皇には弟がいた。それが大海人皇子だった。彼は天智天皇に疎んじられ、遠ざけられてしまった。命の危険を感じた皇子は山中のルートを通って逃げ出す。この時伊賀の道を通ったのではなかったかと思うのであるがやはり詳しくは思い出せない。とにかく山越えをし、尾張だとか美濃だとかあの辺りの地域に出現する。そこで彼は東人の兵士を集めて軍勢を組織し、それでもっと近江大津を攻めるのであった。その時にはすでに天智天皇はなく、その息子が後を継いでいた。ちなみに大海人皇子の后は天智天皇の娘で、後に持統天皇となる人であった。

 一連の戦は壬申の乱と呼ばれた。大海人皇子は即位して天武天皇となり、近江大津から都を遷すことに決めた。それでどこに都を移動させたのか…確か奈良の南の方だったと思うが…あまり自信はない。


 天武天皇の死後には持統天皇の時代がやってくる。二人の間には子どもがいて、これが将来の天皇候補となっていたのであるが、早世してしまう。その後何人かが「繋ぎ」をした後で、その早世した子ども(草壁皇子だった気がするのだが)の子どもが即位して文武天皇となる。


 無論草壁皇子以外にも子どもはいた。大津御子もその内の1人であった。しかし彼は天武天皇の子ではあっても持統天皇の子ではなかった。側室の子だったのである。だから持統天皇には疎んじられた。結局彼は反乱を起こして殺される。彼には姉がいて、その人は伊勢神宮の斎宮であった。大津皇子は反乱を起こす直前に密かに姉の下を訪れたらしい。姉は後に弟の身を案じた内容の歌を詠んでいるが、この時2人がどんな内容の話をしたのかということがどうも気になっている。

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