2016年12月25日の日記
まず昨日のことから。起床してまず、またリンパが腫れていることに気づく。前日夜1時ごろに就寝したのだが、こんなにすぐに影響が出るのかと驚愕した。今回も左耳の下辺りが腫れていた。前回よりちょっと硬いかもしれない。
午前中に外出し、図書館に行く。そしてヴァレリーのフローベール論、小林秀雄の1937年ごろの文章たちなどを読む。そしてフローベール書簡と三島由紀夫全集対談編2冊を借りて帰る。昼食はうどんに米であった。
午後は体力維持のために15時まで昼寝をする。それからコーヒーを飲みながらケーキを食べる。その後パソコンをやる。夕食は親子丼。
熱はほとんどなかったように感じたし、咳もほとんど出ていなかった。
9時過ぎ起床。リンパの腫れはまだひいていない。ちょっと本を読み、パソコン。昼食のチャーハンを食べてまたパソコン。午後もまたパソコン。今日はスペイン語やフランス語の勉強をしていた。
夜はハンバーグにポテトサラダ。ハンバーグには前回と同じようにチーズが乗っていた。これが我が家のクリスマスディナーであった。
夜、三島由紀夫と中村光夫との対談を読む。私はこれを何度読み返すのか?
権力と文学について2人が語る部分がある。三島曰く、日本文学には権力を描いたものがない。日本文学は反権力の立場から物を書くのが普通で、権力の内部にある荒廃を書くものが少ない。三島はそのことを疑問に思う。たとえばドストエフスキーの大審問官は権力の荒廃を書いている。日本にはどうしてああいうものがないのだろう。そもそもどうしてドストエフスキーはああいう権力の荒廃を書くことができたのだろう?そう三島は疑問を呈す。
また、権力と教育の問題は密接に関係しているとも言う。教養も権力と結びついている。ゲーテは権力のことも教育のことも理解していた。ヴェルテルのゲーテは芸術家だが、マイスターのゲーテは教育者だった。そんなことも言っていた。
日本の文学者は母の問題にからめとられ過ぎる。ゆえに権力の問題にまで頭が回らない。自分は忠誠などの問題をつきつめていくことによって、権力という問題を扱うことができるようになるのではないかと思った…などというようなことも言う。
示唆に富む言葉があちらこちらにある。やはり興味深い。
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