「独白」


「独白などというものは現代においては不可能ですよ。語るべきことなんて何も残っていやしないし…何より独白する相手がそもそもいないんですからね。…そもそも自分に向かってするのが独白なんだから、相手がいないのは当然なんではないか?とあなたは今思ったのでしょうね。そこなんですよ。その自分というものが存在しないのが現在という時代なんです。独白の相手としての自分自身が存在しないのが現在という時代なんです。そしてその恐ろしさなんです。自分自身が存在しないなんてそんなことがあるわけないと、あなたは思ったことでしょうね。ところがね。存在しないんですよ。というよりも存在しないということにようやく気づいた、いや、存在しないということをようやく認める気になったと言った方が正確でしょうね。近代とは自分を探しまわる時代だったわけです。それはもう様々なところを探したわけです。まず手近な山の中とか川の源流とかそうところを隅々まで探して。それでもないっていうんで船に乗って海に出て、新大陸、あるいは極東の島国にまで探しにいったわけですね。それでもない。いやいやそれでもどこかにはきっとあるはずだというんでアマゾンの奥地、南極北極、海の底、はては月まで行って徹底的に探したわけですね。しかしそれでも自分は見つからない。地球上はおろか地球の外にすら自分というものはなかったわけです。それでも人は諦めなかったわけですね。今度は人々の心の中に自分を探しに出かけたわけですね。暗闇の中に人間を真っ裸で数人押し込んで反応を見たり、脳みその一部を切り取った人間がどのような行動をするようになるのか監視したり、人間というものがどういうものなのかっていうことを徹底的に調べ上げようとしたわけですね。そうすれば自分というものがどこにあるのかということも解明されるに違いないと考えてね。しかしそれでもやはり自分は見つからなかった。これは驚きですよね。人間の中にすら自分が見つからなかったわけですから。…色々な人が色々なことは言うわけですね。これこそが人間だ。Aなのが人間だ、いやいやBなのが人間だとかね。しかしどんな人間の姿を提示されても、それはやはり自分ではないわけですね。しかしじゃあ自分の中に自分があるかということ、これもないわけですね。外にも内にも自分が存在しない、そういう絶望的な事実がいやらしくねちっこく証明されてしまったというのが現在なわけですね。まあそこまで追い込まれると人間はどういう反応をするかということが問題になるわけですがまあやはり反逆をするようになるわけですね。つまり自分なんていらないんだ。そんなものなしで俺たちはやっていけるんだということを主張するようになるわけです。まあ自意識としてはそれでいいわけですね。ところがですね、こういうことを言って、まあ色々と行動している人のことを観察してみる。するとこういうことを言っている人が一番自己中心的に行動しているんだっていうことが手に取るようにわかるわけですね。自分を取っ払ってしまった後に残るのは動物的な欲求だけなんですね。しかもただ動物的であるだけじゃない。しっかりと文明的な装飾がほどこされているわけですね。自分は存在しないかもしれないけれどその幽霊がいるわけですね。そうなってしまうともう駄目なんですね。そうなってくると飯を食いながらおしゃべりだのダンス鑑賞をしたくなってくるし、あるいはただの女体というものには興味が持てなくなってきて、そこに人妻だの未成年だのといった属性が追加されていない満足できなくなってしまうわけですね。自分がいないっていうのはそれは自分しかいないっていうことの裏返しにすぎないわけです。だからなんとしてでも自分というものは存在しなくてはいけないわけです…。僕最初なんて言ってましたっけ?自分は存在しないとか言ってなかったですかね?だとしたら矛盾したことを言ってますよね…。いやそうでもないか。そうでもないですよ。自分は存在しない、しかし存在しなければいけないものなのだってことを言いたいわけですよ。そうですよ。ヴォルテールも言ってましたね。神がいないのであれば作り出さなくてはならないとかなんとか。そうですよ。自分がいないのであれば、作り出さなければならないんです。まさに自分という存在から脱却するために。自分から解き放たれるために。まあ…独白は不可能ですよ。それを聞いてくれる自分自身が存在しないんだから。しかしですね、自分が存在しないからといって独白をやめてしまったら訪れるのは本当の終わりですよ。独白をやめてしまうということは自分が存在しないということを完全に認めてしまうということに繋がってしまいますからね。あ、そうだ。独白が自分を作り出すんだ。そうですよ。自分が先にあって独白があるんじゃない。独白するから自分があるんですよ。独白するから自分が形作られるんだ。独白する度に自分が形成されていくんですよ。そうは思わないですか?ねえ、そうは思わないですか…」


 そんなことを地下室で彼は囁き続けていた。目隠しと猿轡をし、さらに手足まで縛りつけた少女に向かって。少女はどうすればこの暗闇を抜け出すことができるのか、そんなことばかり考えていた。

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