竹林の七賢および魏晋哲学について

 竹林の七賢について興味が出てきた。


彼らの著作はそのほとんどが散逸してしまっている。しかし近世・近代の研究者たちが古い書物に引用されたそれらの著作の断片を繋ぎ合わせて、ある程度まとまった形の文章として復元したものがある。この復元したものを輯本と呼ぶ。

 竹林の七賢筆頭である阮籍の著作もこの輯本のようである。阮籍以外のメンバーの著作は阮籍よりもさらに少なく、わずかに詩や散文が極少数残っているだけである。

 ただし例外もいる。阮籍と並んで七賢筆頭と言われる嵆康の著作をまとめたものは当時のものがそのまま残っている。嵆康がかつて務めていた官職である中散の名をとって嵆中散集と呼ばれるこの著作集は全十巻でなかなかの分量である。その中に詩もあれば論文もあって、これを通じて我々は当時の哲学の一部に触れることが出来る。


 竹林の七賢はその著作以上に奇天烈なエピソードで有名であるが、それらは晋書や世説新語などに数多く収録されている。


 王葆玹なる研究者がこんなことを主張している。三国志時代、山陽県は劉協のいた土地で、そこだけは漢の制度が残存していた。竹林の七賢はこぞって山陽県に集まり、魏の制度の届かない場所で国に対して反抗していたのだという。これはどうなのだろう?非常に面白い説であるように思われるが…

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?