キノの旅 『優しい国』 考察
原作はライトノベルらしいが、自分が触れた媒体はアニメであった。
とあるYouTube動画にて、鬱回が存在する作品として紹介されていた。
『キノの旅』という作品の『優しい国』という回。
観てみたが、自分としては別に鬱になる様な話では無かった。それよりもいろいろと考えさせられる話だった。
さて、作品を紹介しておいてなんだが、詳しいあらすじについてはここでは書かない。
本編は自分で観ていただきたい。
その上で自分が思う事を書かせていただく。
『優しい国』とはなんだったのか。
これは、主人公であるキノが望んでいた理想であり未来なのだろう。
彼女はとある理由から親に殺されそうになり逃げ出した訳だが、本来はそんな事など望んでいなかったはずだ。
だからこそ、キノにとっては『優しい国』だったのだろう。
この優しい国にはキノの幼少期を彷彿させる、さくらという少女が出てくるのだが、キノは彼女に幼い日の自分を無意識に重ねていたのだろう。
そして『優しい国』が自分の理想であったからこそ、あの『これはエゴだ』という台詞に繋がったのだと思う。
キノが『優しい国』を出国した夜更けにその国は火砕流によって全滅するのだが、これはキノが『優しい国』に重ねていた安らぎが現実という火砕流に飲み込まれていった、という事なのだろう。つまりは比喩演出。
現実のキノが故郷である『大人の国』でどの様な目にあったかは前述のとおりだ。
そして、キノがなぜ『これはエゴだ』と言ったのかだが、これはさくらを自分に預けられなくて良かったという事に対してではなく、さくらを自分と重ねてそう思ってしまった事に対しての言葉ではないだろうか。
勝手に重ねて彼女が親と引き放されなくて良かったと思ってしまった自分への戒めだったのだろう。さくらは助からなかったのだから。
そしてキノが故郷でどの様な仕打ちをされたのか知っているエルメスは『そうだろうね』と返したんではないだろうか。
・・・とまぁ、自分はこの様に解釈するのがいちばんしっくり来るのだが、どうだろうか。
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