「絶望の淵でも大切なこと」
いーんです、いーんです。
自分のことはいーんです。
仕事? やります。
面倒臭いですけど、仕事ですから。
えぇ、キッチリやりますよ!
道化になれ? やりますよ。
それで笑ってもらえるなら。
暇なのが一番無意味です。
とにかく何か、役割があれば何でもやります。
ただ雑談したり、人の話を聞いたりするのはノーサンキューです。
パートナーシップ? いーんです、独りで。
他人と関わるの、超めんどーですから。
いーんです。
Dさんは
育った家庭の家族とは会話がほとんどなかったらしい。
大人になり、独りで暮らすようになったある時、大病を患った。
ギリギリの治療に取り組み、自分の命も精一杯。
そうこうしている間に今度は両親を亡くしたという。
なんとも殺伐とした感じの正体は絶望から来る「他者を受け付けない」という姿勢だった。
私のところには誰も来ない。来ても欲しくない。
役割があれば、何でもやる。
でもそれ以外では生きていく方法は見えない。
本当の自分なんかわからない。
だって役割でしか生きていないから。
Dさんは、懸命に生きていた。
でも、欲しい時に、希望が来ない経験が積み重なるとこころが飢えてくる。
ここで我慢が祟ったり、助けが来なかったりすると心が痛んでくるのだ。
心が痛んでくる=出来事をありのままに捉えられなくなってくる。
どうせわかってもらえない
どうせ助けてなんてもらえない
どうせ誰もこない
どうせひとりぼっち
みんな離れていく
だれも理解なんてしてくれない
という思い込みが強くなってしまう。
こころがこの状態にあると、理解者が現れた時や、差し伸べられている手助けに気づくことができない。
結果として、思い込みの世界を現実化してしまうことになる。
いわゆる
「思考は現実化する」だ。
でも、ここからも抜けようと思えば抜けられる。
ちゃんと悲しもう。絶望の涙を流そう。
そして、感情を誰かと分かち合おう。
この涙こそ、本当のあなただと思うのです。
あなたの命が、そこにあります。
絶望の涙も大切だと考えています。
誰かと共に涙できた時、思い込みが外れていくでしょう。
感情をシェアしていく。シェアできる仲間と生きる。
そうやって、どんな時も力強く生きていきたいものです。
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